安珍清姫は紀州の道成寺伝説における主人公の名前であり、書名は函書きによる。絵巻は道成寺物語(道成寺縁起)の筋立てにそって表現した彩色画で、女が蛇形に変身していく様子が、細かい変化をつけて生々しく描かれている。詞書は『室町時代物語大成 第10』に所収の道成寺蔵「道成寺縁起」(室町末写)に近いとされる。奥書などはなく書写年代は確かではないが、本文や絵が古態を感じさせることから、安土・桃山以降の書写と推察される。本絵巻には「あんちん」という僧の名が出てくるのみである。
平安中期に紫式部によって記された仮名日記『紫式部日記』の本文に変更を施して詞書とし、各段に絵を添えた絵巻。13世紀前半の制作と推定される。現在は詞書23段と絵24段が伝わり、形態は巻物3巻、額装6面、掛幅2幅であるが、江戸時代には4巻の巻物として、それぞれ別の大名家に伝来していた。詞書の書風は後京極様(鎌倉初期、後京極摂政藤原良経の創始。狭長な字形で粘り強い書風)を示し、絵は伝統的な技法のうえに、大胆な構図、動きや表情のある人物描写など、新しい形式が見られる。
『四十二行聖書』は、活版印刷術の創始者ヨハネス・グーテンベルクによりマインツで製作されたラテン語聖書(2巻本)で、1頁が概ね42行で印刷されているためこう呼ばれている。当時160から180部印刷されたといわれているが、現存しているのは48部で、そのうち完本は21部とされている。この零葉は1921年に不完全本であったグーテンベルク聖書のー巻を、稀覯書のコレクターで出版業にも携わっていたA. Edward Newtonが一枚ずつばらばらにし、4頁の解説を付して製本し頒布したものである。当館所蔵の本零葉は、第一巻の第244葉にあたり、『旧約聖書』第3エズラ記の第8章の約半分が含まれている。8章の2頁めにあたり、13行めの冒頭には、手彩色により青色のRが描きこまれている。
ウオーターマーク(紙の透かし)は葡萄。
Plotinus, 205-270 Opera Prohemium Marsilii Ficini Florentini in Plotinum ad magnanimum Laurentium Medicem patriae seruatorem.
Florentiae : impressit ex archetypo Antonius Miscominus, 1492
フィチーノ訳プロティノスの初刊本。プロティノス(205-270)は、ギリシャの哲学者で新プラトン派の創始者。プロティノスの作品は、イタリア・ルネサンスを代表する哲学者であるマルシリオ・フィチーノ(1433-1499)によって、ギリシャ語から知識人たちの共通語であったラテン語に翻訳された。インキュナビュラである本書にはタイトル頁がなく、翻訳と出版の資金を提供した、ロレンツィオ・デ・メディチ宛の献辞が巻頭におかれている。装丁は原装ではなく、19世紀の半皮装。
Plato, 427-347 B.C. Platonis opera [a cura di Marsilio Ficino traducta]
Venetiis : a Philippo Pincio Mantuano, 1517
フィチーノ訳プラトン全集。1459年、コジモ・デ・メディチはマルシリオ・フィチーノ(1433-1499)にプラトンの書物をギリシャ語からラテン語に翻訳させるべく、カレッジのメディチ家別荘を与えた。このカレッジの別荘は、後にプラトン・アカデミーとしてフィレンツェ文化の中心となった。初版は1484年にフィレンツェで刊行。その後1491年にヴェネチアで再版され、16世紀になってから1517年に再びヴェネチアで刊行された(本書)。当館では第2版にあたる1491年ヴェネチア版、および第4版にあたる1518年のパリ版を所蔵している。同時代のヴェラム装丁。
版木を活字と共に組み版にはめ込み、テクストと挿絵を同時に印刷するというこの方法は、1460年頃からドイツで始められ、その後ヨーロッパ各地に広まっていき、聖書などの宗教書だけでなく、あらゆるジャンルの本に木版挿絵が使われるようになり、書物の大衆化に寄与した。
本コレクションは、これら15世紀後半から16世紀前半にかけての西洋初期印刷本の木版挿絵837点の集大成である。その内容は、「人類救済の鑑」や「黄金伝説」、「聖人伝」などの宗教書、ボッカチオの作品やブラントの「阿呆船」などの文学書、イソップ「寓話」などの世俗書のほか、中世最大ともいわれる挿絵入り博物誌である「健康の園」、“ニュールンベルク年代記”の名で知られるシェーデルの「年代記」をはじめとする歴史書などあらゆる分野を網羅している。
Ricardo, David (1772-1823) On the principles of political economy, and taxation.
London : John Murray, 1817
Ricardo, David (1772-1823) On the principles of political economy, and taxation. 2nd ed.
London : John Murray, 1819
Ricardo, David (1772-1823) On the principles of political economy, and taxation. 3rd ed.
London : John Murray, 1821
著者のリカードはイギリスの経済学者。ユダヤ系商人の出で金融業にて成功を収めた。1799年ごろ『国富論』に接して経済学を志す。また、マルサス、セー、ミルらと交友があり、ミルのすすめで『経済学及び課税の原理』を発刊(1817)。経済における構造変化や階級的三大勢力(労働者と資本家そして地主)からなる社会へと発展していった時代の分配の問題について述べている。
Budé, Guillaume(1468-1540) De studio literarum recte et commode instituendo, ad inuictissimum, & potentissimum principem Franciscum regem Franciæ , Gulielmo Budæo Parisiensi, ... item, De philologia lib. II ad Henricum Aureliensem, & Carolum Angolismensem, regis filios.
Basileae : Apud Ioan. Walderum, 1533.
『学芸研究論』De studio literarum recte と『学芸愛について』De philologia の2冊が合本上梓されたもの。前者はフランソワ1世に、後者はその息子たちに捧げられた。それぞれの初版は、1532年パリのジョス・バード(Badius, Josse 1462-1535)によって印刷刊行された。本学所蔵本はオロシウス(Orosius, Paulus 5世紀初めのイベリア地方の司祭、神学者)のAdversus paganos (Quos vocant) historiarum libri septem (1536年刊)が合綴、製本されている。
Budé, Guillaume(1468-1540) De transitu Hellenismi ad Christianismum, libri tres
Parisiis : Ex officina Rob. Stephani , 1535
『ギリシャ語考』Commentarii linguae Graecae (1529年、本学所蔵)によって、ギリシャ語学者としての名声を確立したビュデが、古代ギリシャ文化、つまり異教徒の文化を福音主義の立場からキリスト教の中に融合させようとした著作。また本書は、フランスにおける活字技術の進展を示している、印刷史的にも注目すべき資料であると指摘されている。
Budé, Guillaume(1468-1540) Su[m]maire, ou, Epitome du liure de asse fait par le commandeme[n]t du Roy
Paris : Arnoul et Charles, [1538]
ビュデの名著『古代貨幣考』De asse & partibus (ラテン語、1514年初刊)の概説書。国王フランソワ1世の求めでビュデ自らがフランス語で要約した。1522年にガリオ・デュ・プレが印刷、ピエール・ヴィドゥエの上梓した版が最初のものと考えられている。本書は1538年刊で通算第5版に相当し、ビュデの生前に刊行された最後の版となった。本学では『古代貨幣考』の1556年版(他の著作と合綴されている)を所蔵している。
参考展示ビュデ 『古代貨幣考』 1556年 バーゼル [091.3/842//H]
Vegetius Renatus, Flavius Fl. Vegetii Renati viri illustris De re militari libri quatuor
Lutetiæ : Apud Christianum Wechelum, sub scuto Basiliensi, 1532
ギョーム・ビュデによる編纂。古代ローマの軍事論の中で最もよく知られているウェゲティウスの4巻(第1巻徴兵、第2巻組織、第3巻戦術、第4巻築城・海戦論)に加え、フロンティヌス、アエリアヌス、モデストゥスの著書が収録されている。『軍事論』は4世紀末ないし5世紀前半の著作と考えられており、中世からルネサンスにかけての軍事論に大きな影響を及ぼした。パリで上梓されたこの版には、122点にも及ぶ木版の多彩な武具の挿画が含まれている。翌年同じくパリで再刊された他、さらにその翌年、仏訳も刊行されている。
14世紀末にボヘミアおよびドイツの王ヴェンツェル4世の為に作成された600点におよぶ植物、鉱物、哺乳動物、日常生活の諸場面に関する記述と挿絵。ミラノのデ・グラッシ工房によって描かれた挿絵には、古代末期以来の本草学の伝統を受け継いだ因習的な定型表現とともに、瑞々しい自然観察にもとづくものも随所に見出され、ルネサンス前夜の世界観や自然観の変化が如実に示されている。原本はカザナテンセ図書館蔵。ローマの一種の薬物誌の豪華写本を忠実に再現したファクシミリ版。
原資料の本文・図像などの形・色を写真製版技術によって正確に再現するだけでなく、紙質・装丁などの造本面についてもできる限り忠実に再生したもの。ファクシミリ版は、他の複製に比べ手間・費用がかかるため、特に貴重な資料である場合のみ刊行される。
明治18(1885)-25(1892)年 弘文社 [099.1/230-*//H]
ちりめん本とは、和紙を使用した木版多色刷の挿絵入りの本を、
『日本昔噺シリーズ』(Japanese fairy tale series)が最も普及し、特に下の20冊は版を重ねた。この日本昔噺シリーズのほかに、単発で日本の風俗・文化の紹介や暦なども出版されている。
参考展示平紙本 『日本昔噺シリーズ』 明治19(1886)-20(1887)年 弘文社 [388/254//D]
和紙にちりめん加工がされていないもので、少し大判になる。
その他のちりめん本 月夜の十二景 (1909年の暦)』 明治41(1908)年 [099.1/231//H]
Twelve scenes by moonlight : calendar for 1909
本学文学部教授水野稔氏の蔵書を、没翌年の1998年、図書館が一括購入したことにはじまる。江戸後期の読本・合巻・人情本・洒落本・黄表紙・滑稽本などからなり、現在も予算措置を講じて収集を継続中である。水野稔氏旧蔵部分の内容は、『江戸文芸とともに』(水野稔著、小池奈都子、内村和至編 ぺりかん社、2002)の付録「旧蔵和書目録」に掲載されている。
種彦の合巻処女作で、文化7(1810)年の種彦の日記には、その執筆の過程が克明に記されている。種彦は近松の作品を数多く所蔵し、多くの作品の趣向としていた。本書は序文で「近松竹田の院本」を翻案し、発端の趣向は京都の都万太夫座で上演された近松門左衛門作『東山真如堂の棟上』の歌舞伎狂言本によるとしているが、この本は現在、存在が知られていない。(「
浄瑠璃本『仮名手本忠臣蔵』の一段ごとに話を補足、あるいは発展させたような草双紙。表紙の画中の人物は、上は阪東三津五郎と松本幸四郎、中は尾上菊五郎と瀬川菊之丞、下は市川団十郎と岩井半四郎の似顔にしてある。当時『忠臣蔵』の内容は、子供にまで知れ渡っていたため、本筋は一段毎に絵を一面掲げるに止めて、説明はほとんど省略してある。(「
草双紙は多様な展開を示すが、当時の歌舞伎の筋立てや役者の似顔絵などを取り入れ、配役通りの役者似顔を用いて紙上に再現し、舞台風景を彷彿とさせる
元埼玉大学教授 故・大久保忠国氏旧蔵の抱谷文庫は、同氏の専門領域である江戸時代の文芸および演劇関係の原本を多数蒐集していることで著名であるが、本学図書館では、主として演劇関係の資料を役者評判記・番付・せりふ本というジャンル別にまとめて購入してきたが、2003年度購入した草双紙類資料は、同文庫に所蔵されている幕末から明治維新直後にかけて刊行された絵入り小説のうち式亭三馬・山東京伝・山東京山・曲亭馬琴などといった代表的作者の諸作その他を一括したものである。
江戸時代の挿絵入りの読み物。お伽草子・
小林秀穂元予科長の寄贈書(文学、哲学書100冊)をもとに、昭和22(1947)年に「小林文庫」として設置。明治から昭和戦前期までの文学書の初版本コレクションである。日本文学の授業で薫り高い文学書初版本を学生に触れさせたいとの考えからであったと伝えられる。1991年に故佐藤正彰元図書館長・文学部教授の旧蔵書を受け入れるにあたって現名に改称した。佐藤正彰旧蔵本の中には中原中也『山羊の歌』のサイン本など貴重書が多く含まれる、1996年には宮沢賢治『春と修羅』、『注文の多い料理店』、1997年には萩原朔太郎『月に吠える』のアルス版を購入した。
東京、大阪、両朝日新聞に大正3(1914)年4月から8月まで110回にわたって連載された。新聞連載時は『心』 自序に「装幀の事は今迄専門家にばかり依頼していゐたのだが、今度はふとした動機から自分で遣って見る気になって、箱、表紙、見返し、扉及び奥附の模様及び題字、朱印、検印ともに、悉く自分で考案して自分で描いた」という漱石自装本で、岩波書店刊行の『漱石全集』の装丁は今もこの形を倣っている。表紙の
参考展示夏目漱石(1867-1916) 『心』 朝日新聞切抜 [MB100/NA36-22//W] 上下 2冊
参考展示夏目漱石(1867-1916) 『心』 自筆原稿 複製版 岩波書店 原本は岩波書店蔵 [099.2/10//W]
明治27(1894)年、独歩(本名哲夫)は、徳富蘇峰を頼って 國民新聞社に入社し、同27年10月から28年3月まで、日清戦争の海軍従軍記者として軍艦千代田に搭乗した。独歩が、軍艦千代田から『國民新聞』に送った通信記事は、毎日“愛弟!”の呼びかけで始まる書簡文体で、海戦の模様や艦内の日常生活の興味深い観察を手にとるように報道して読者の好評を博した。この記事は、独歩の没後、『愛弟通信』として刊行された。
童話作家として知られる未明であるが、執筆活動の前期は小説も並行して書いていた。新浪漫主義作家として出発した未明は、大杉栄との親交や二児の病死、貧苦の生活を経て社会主義への傾倒を深めた。本書は大正6(1917)-7(1918)年に発表された「戦争」「河の上の太陽」「文明の狂人」など10編の短編を収録する社会主義期の代表的作品集である。やがて社会主義運動が分裂したことなどを契機に、大正15(1926)年小説を断筆し童話に専念することを宣言、以降戦後まで旺盛な創作力で1000編を超す童話を残した。
有島武郎の童話創作は表題作「一房の葡萄」(大正9年8月『赤い鳥』発表)から始まり6篇があるが、本書はうち4編を収録する。初めに行光、敏行、行三の三児への献辞がある。著者自身による挿絵4葉は大正期前衛芸術の未来派または立体派風である。これについて有島は「小さい人たちが未来派や立体派の絵に対して、大人が思ひもよらない理解を持つてゐるさうだ。私のところの子供などもさういふ絵を見せると強い興味を以てそれに臨み、しかも思ひがけない理解を示す」(『新潮』大正11年7月号)と述べている。
佐藤春夫の最初の童話集。表題作は、雑誌『童話』第2巻9号(コドモ社、1921.09.01付発行)に初出掲載された。その他、主に雑誌に発表された短編13編が収録されているが、中で「私の父と父の鶴との話」は、元々は「わが生ひ立ち−幾つかの小品から成り立つ幼年小説」と題して『大阪朝日新聞夕刊』に連載されたものの一部で、「頭の赤い鶴の話」として掲載された(1919.07.30〜31)。春夫自身の幼いころや父と触れ合った思い出が元になっている。
「雌に就いて」、「二十世紀旗手」、「喝采」の3編を収録している。表題作「二十世紀旗手」の初出は、雑誌『改造』19巻1号(改造社、1937.01.01付発行)掲載。副題の「−(生れて、すみません。)」はエピグラフとして有名で、また本作の12断章は、”序唱”〜”終唱”として各々に「神の焔の苛烈を知れ」(序唱)等の表題が付されている。
中国吉林省鴨緑江岸に414年に建立された高句麗好太王碑の拓本。拓本とは紙以外に石や木、金属などに刻まれた文字、模様を墨を用いて、紙の上に写し採ったものをいう。好太王碑は高さ6.3メートル、幅1.35〜2メートルあり、4面に約1,800の文字が刻まれている。
古代の東アジア情勢を伝える第一級の史料として知られるが、千数百年を経て風化が進み、現在では原文中の約200文字が解読不能になっている。
本拓本は1913年前後に作成された石灰拓本で、各面ごとに和綴じされた4冊本から成る。
わが国で平安時代以来広く愛読され、日本文化にも多大な影響を与えてきた白居易の全集。長慶4(824)年に前集50巻が成立し、全巻が成立したのは会昌5(845)年。もとは75巻であったが、4巻が失われて71巻が現存する。本書は、元和4(1618)年に那波道圓が朝鮮銅活字を底辺に刊行した古活字本(近世初期から約50年間行われた印刷法=古活字版)である。この「那波本」は白居易本来の文集の編成に従っており、白氏文集のもとの姿を知るためには重要な資料である。
1957年に地理学者蘆田伊人氏の蔵書3,000点を購入。江戸時代の地誌類や『旧高旧領取調帳』(写本)などの図書と古地図からなる。古地図は日本図が1,400点、中国図・朝鮮図・世界図が100点で、日本図は江戸初期から戦前期にまで及び、樺太・蝦夷から琉球・沖縄まで全国にわたっている。種類も日本全図、国絵図、町・村図、道中図、鳥瞰図、海図、地形図と多様である。図書館収蔵のコレクションのうち、外部からもっとも利用依頼の多い資料である。現在も予算措置を講じて新規に購入し蓄積している。『蘆田文庫目録:古地図編』(明治大学人文科学研究所 2004)あり。
天明6(1786)年に刊行。蝦夷、琉球、朝鮮三国の地理や風俗について国防的な視点から述べ、特に蝦夷地におけるロシアの南下について、警戒を唱えた。三国に加え
寛政4(1792)年に刊行された、わが国初の東西両球図でありかつ銅版印刷された初めての世界図。印刷図でありながら、非売品であったためか現存が少なく希少の世界地図である。本図は、蘭学者大槻玄沢が所有していたオランダ製地図を原図として制作されたといわれている。司馬江漢は浮世絵師として出発し、後に西洋画法、腐食銅版画法(エッチング)を学び、わが国初のこの銅版世界地図を完成させた。
最初、No.28『地球図』刊行の1年後の寛政5(1793)年、その内容を解説するために『輿地略説』と題された別冊が刊行された。その後何回か版を重ね、増補が加えられた。本書はそれらのうちの一冊で、1850年頃の刊行と考えられる。五大州の地誌に関する解説、地球の緯度・経度、太陽・月の運行、日食や月食等について図示し、また基本は天動説によりながらも、地動説の紹介もなされている。
近藤重蔵は、寛政10(1798)年の幕府による蝦夷地探検に参加、その後も数回にわたり蝦夷地を調査し、蝦夷地御用扱を、その後幕府書物奉行を務めた。本書はこの調査と当時の国内外資料に基づき蝦夷、カラフト、千島列島の地理、風俗を考証したもので、北方地理認識の歴史のうえで重要な資料である。所載の「今所考定分界之図」において、当時まだその地理が明らかでなかったカラフトは、大陸からのびる半島として、そしてその北方にサハリン島が描かれている。
No.30『辺要分界図考』所載の絵16点のみを集めた写本。本書の由来は全く不明であるが、17世紀後半から18世紀、千島列島に進出してきたロシアに対する危機感が当時の知識人の間に大きく広まり、これをきっかけとして北方地理研究、ロシア研究が盛んになったことが、このような写本の存在にも表れているのではないだろうか。