図書の譜(明治大学図書館紀要)1号

純粋造本−江川書房と野田書房−

はじめに

図書館における本の評価基準の中心は,その内容であり,本が持つ内容以外の要素は,それほど重要視されていない.特に,出版物が氾濫する現代では,そうならざるを得ないのかもしれない.しかし本には,良書と呼ばれるものとそうでないものが,確かに存在する.

良書の基準というものは,簡単には決めることが出来ない.藤森善貢は『本をつくる者の心』 [1]で,良い本を作る条件として,1.原稿の内容,2.本の用途,3.出版社の刊行意図,の3つを挙げている.これを見失うことが無ければ,自ずと良い本が出来るとしているが,日頃手にする本を思い浮かべると,基本的なこの3項目すら,ひどく難しい課題に思われてくる.

ここで取り上げる純粋造本の技法は,この3つの条件を充分に満たす作品を作り出せるものである.しかしその評価は,一部の愛書家の中だけであって,一般的には認知されているとは言えない.現在では,この技法を特に受け継ぐ者もなく,その作品も過去に作り出されたものばかりである.

そこで,この技法の確立に係わった2つの小さな出版社を中心に,純粋造本について触れていきたい.

純粋造本

純粋造本は,昭和初期に確立された造本方法の一つである.徹底的に素材にこだわり,過度な装飾を排除することによって,本自体がもつ美しさや読みやすさを追求した.

実際にその作品を手に取ると,端々にまで意識がいきとどいていることが瞬時に感じられる.良書と呼ばれる作品のほとんどがそうであるが,特に純粋造本で作られた作品は,読み手に緊張を与え,ただ漠然と読むことを許さないような厳しさがある.それはやはり,その作品に係わった人々の思いが充分に引き継がれているからであろう.

純粋造本のル−ツは,江川書房が作り出した何点かの作品に見ることができるが,完全にその造本方法が確立されるのは,江川書房を引き継ぐ形となった野田書房中期になってからである.

野田書房房主野田誠三は,自らが作り出した作品を ”純粋に本を愛する人に”として世に出した.また元野田書房社員堀尾勉は純粋造本を”決して画家の画による装丁をしないこと,素材の質を極点にまで生かすこと,さりげなく飾らず,しかも全体にピリッと神経のゆきわたっていること,下手もの趣味をきらうこと,"としている.

野田誠三自身の純粋造本についての解釈は,殆ど見る事ができないが, 野田書房刊の雑誌「手帖」 [2]第6号(昭11.4) に,”野田書房のモット−たる純粋造本,凝らないで凝る本の,なんというむづかしさ,何気ない本でありながら,さっと垢抜けした本・・・・・・”という野田自身の言葉があるので,これが野田誠三の純粋造本と考えてよいだろう.

純粋造本の由来

前述の堀尾gifは, 雑誌「これくしょん」 [3]39号(昭44.4)の「野田書房主の思い出」の中で,純粋造本という言葉は,作品が 高い評価を受けるようになってから作られたとしているが, 実際は「手帖」 [2]の第3号(昭10.11)に掲載された 「純粋造本」で,山内義雄が 造本の一つの形を示すものとして使っている.その内容は以下の通りである.

紙も,布も,あるひは革も,すべてが縹渺として消えてなくなる一種不思議な調和の 上に成り立つ造本,言葉をかへて言へば, すべての要素が十二分に充足され,しかもそれらの要素が一巻の書冊に相聚つて, そこにかえつて一種の眞空圏を作り出すというような「純粋造本」の企て, そんなものへの第一歩を君に期待するのは無理だらうか。

この一文によって純粋造本は定義され,野田書房において確立されていった.のちにこの一文を書いた山内義雄の訳本『窄き門』(昭12.8) は白水社版に続いて出版され,純粋造本の代表作とされている.

江川書房

江川書房は,昭和7年2月,堀辰雄著『聖家族』の限定版を処女作品として,その活動を始めた.房主は江川正之.当時22才であった.江川書房は 11冊の限定本と1タイトルの限定版雑誌を出版して,昭和8年に活動を終えている.最後の作品は,マラルメ著・鈴木信太郎訳『半獣神の午後』であった.

昭和初期は,円本の大流行から始まる出版物の大衆化の流れの中にあり,その状況下で高価な豪華本を売り出しても,経営を成り立たせるのは困難だった.それに加え,経営者自身が造本に限り無い情熱を注いでおり,採算や経営を重視していたとは考えられない.江川正之の体調の悪化もあったが,活動期間は僅かであった.

現在一般的に使われている名称は「江川書房」であるが,その名称が作品の奥付に記載されたのは,処女作『聖家族』のみである.その後の作品には,「限定出版江川書房」と記載された.江川書房は設立当時から限定出版を志ており,その作品は総てが限定出版であったので,なぜ処女作だけが江川書房となっていたのか,興味を引かれるところである.しかしその理由については,調べることができなかった.

江川正之の造本は,白水社での仕事から始まる.白水社はフランス文学の出版社として有名だが,コクト著・東郷青児訳の『怖るべき子供たち』(昭5.9)から始まった文芸物出版を,最初に手がけたのが江川正之である.その後も,ジイド著・山内義雄訳『窄き門』(昭6.10),宇野千代著『大人の絵本』(昭6.5)をそれぞれ限定500部として出版した.後に江川正之自身が残した「江川書房物語」 [4](昭45.12)の中で,この2冊が限定本出版を始める直接的な動機だったと書いている.

『出版年鑑』 [5]の出版関係諸名簿(発行所一覧)には, 一度も社名が出てこない.作品についても,井伏鱒二『川』(昭7.10)と深田久彌『翌檜』(昭8.11)の2点が登載されたにすぎない.『出版年鑑』では『翌檜』は,昭和9年の出版となっているが,この時にはすでに江川書房の活動は休止しており,出版年鑑のミスであると思われる.『人物書誌体系14 深田久彌』の中でも,『翌檜』は昭和8年11月の刊行となっている.出版年鑑の網羅性の問題は残るが,全国の発行所が数百も掲載されているにも係わらず,江川書房の名前が挙げられていないことから,現在の高い評価とは裏腹に,当時は全く認知されていなかったことが推察できる.

江川書房と純粋造本

江川書房と純粋造本

江川書房が活動を始めるにあたって,小林秀雄,横光利一の両氏が顧問となった.江川正之が白水社時代には面識がなかった堀辰雄の『聖家族』を処女出版としたのは,小林秀雄から話が出たものと思われる.そして出来上がった『聖家族』は,純粋造本の一つの出発点を示す傑作となった.装丁は著者自身がおこなった.堀辰雄の中には,この時点から純粋造本の基本概念がある程度出来上がっていたのではないだろうか.

堀辰雄と横光利一は,雑誌「文学」での同人であり,友人でもあった.また横光利一は,この『聖家族』に序文を寄せているが,麦書房の雑誌「本」 [6] 第1巻6号(昭39.7)は,この序文の直筆原稿が表紙を飾っている.表紙解説の中ではこの序文と作品を”傑作と名序文という緊密な均衡という点で,これは昭和文学書中,一頭地を抜くものであろう” と評している.

江川書房が『聖家族』以後に出した作品の中でもっとも高い評価を受けているのが, 第3作目の川端康成著『伊豆の踊子』(昭7.1)であるが, これは純粋造本ではなく,画家小穴隆一 の装丁によるもので,表紙には手色彩による踊子が鮮やかに描かれている. 庄司淺水は雑誌「書物趣味」 [7]第1巻2号(昭7.10)で, ”世界に誇るべき和紙をもっとも効果的に利用した本だ”と評した.しかし江川書房の雑誌「本」 [8]の第2巻(昭8.6)では,秋朱之介が,紙質が悪い,印刷が曲がっている,製本が良くない,と注文をつけている.純粋造本では,素材の質や印刷は最大の配慮を必要とする箇所であり,この時点では,江川書房は一般的な美本出版に重点が置かれていたようである.

江川正之装丁の江川書房第4作目,嘉村礒多の『途上』(昭7.8)は,江川正之自身の手による最初の純粋造本と言えるだろう.江川正之が書いた『江川書房物語』 [4](昭45.12)では,この『途上』と堀辰雄著『ルーベンスの偽画』(昭8.2)を自身の最も気に入った作品として挙げているが,『途上』は世間でも高い評価を受けており,庄司淺水は雑誌「書物趣味」 [7]第1巻2号(昭7.10)で ”飾り気なき気品ある装丁は,内容と相俟って,全き調和をなす”と評している.この『途上』後の作品も純粋造本と呼べる良書であったが,それでも江川書房が純粋造本の確立を目指していたとは考えにくい.江川書房の最後の作品となった鈴木信太郎訳『半獣神の午後』は,パリのドレンヌ書房から出された初版を忠実に再現した実験的な作品であった.しかし,純粋造本への方向性と基礎は江川書房によって作られたことは確かであり,それを引き継ぐのが野田書房である.

野田書房

野田書房は,昭和9年4月に堀辰雄の『美しい村』限定500部を出版してその活動を始めた.房主は野田誠三.当時23才で早稲田大学に在籍中であった.元々野田は三才社で刊行していた雑誌「ウ゛ァリエテ」の編集に係わっていたのだが,この雑誌を引き継いで独立し,野田書房を作った.しかしこれは,野田書房刊行となってから僅か 3巻だけで廃刊となっている.

野田書房が刊行した限定本は16冊.このほかに『コルボオ叢書』として, 12冊を刊行している.これ以外に普及版として出された本が何冊かあり,文芸作品だけにとどまらず,学術書の刊行も手がけた.また江川書房刊行の雑誌「本」 [8]を引き継ぐ形で月報「手帖」 [2] を刊行し,これが雑誌「三十日」 [9]に引き継がれていく.また「三十日」の姉妹雑誌「記録」の出版も手がけていた.

野田書房の最後の限定版は昭和13年4月刊の堀辰雄著『風立ちぬ』であった.この作品が世に出た3週間後,野田誠三は自殺している.その後は父親が後を継ぐことになるのだが,実質的な活動は殆ど行われていない.『出版年鑑』 [5]の出版関係諸名簿(発行所一覧)に野田書房が登場するのは活動開始と同時の昭和9年だが,その作品がすべて掲載される訳ではなく,取り上げられるのはほんの一部であった.出版関係諸名簿(発行所一覧)での最後の掲載は昭和15年だが,野田誠三死後は昭和13年に 2冊の本を刊行し,雑誌「三十日」 [9]を2巻出しただけである.野田誠三の死がそのまま野田書房の活動停止だと言えるだろう.

野田書房も江川書房と同様に,経済的には決して恵まれていなかった.高価な限定本はなかなか売れないのが実情で,野田誠三はいつも金策に走っていた.それに加え,昭和12年4月には,印刷所が火事になり出版予定の原稿などが焼失してしまう.この被害はかなり大きく,出版予定であった『定本萩原朔太郎詩集』は刊行中止になった.野田誠三が自殺した時にはかなりの借金が残っており,経営は立ち行かなくなっていた.また野田誠三自身は,「手帖」 [2]第5号(昭13.3)の後書きに野田書房の本が高すぎるという批判に対して, ”野田書房の本が高いのでなく,外の本が安すぎるのです。即ち外の本が,餘りに粗雜すぎるのです。” と反論している.これに続く内容も,かなりきびしく当時の出版界を非難するものであるのだが,また同時に,野田誠三の造本に対する情熱が伝わってくるものでもあった.

純粋造本と野田書房

野田誠三は,堀辰雄の愛好家であり,その作品に相応しい装丁の確立を目指していた.堀辰雄の啓示を受けて造られた処女出版『美しい村』は,その後の野田書房の方向性を示す良書である.この作品は,野田誠三が最初に仕事をした三才社から出版の予定だったが,直前にそれを持って独立した.そのため「ウ゛ァリエテ」の第4号(昭9.1)は,三才社の新刊案内として,『美しき村』が紹介されたまま刊行されている.

この後,山内義雄の純粋造本への働き掛けを受けて,明確な造本方針を持つようになると考えられるが,その直後に完成したのが堀辰雄著『聖家族』(昭11.1)の限定版である.この作品は堀辰雄の発案で,野田誠三の装丁により出版されたが,純粋造本を明確に意識してつくられた最初の作品と言えるだろう.この時の詳細は「手帖」 [2] 3号,4号の『聖家族』の新刊案内でみることができる.

野田書房の代表作として挙げられる芥川龍之介の『地獄變』(昭11.4) と山内義雄訳の『窄き門』(昭12.8) は純粋造本の完成型である.『地獄變』は芥川の弟子である堀辰雄の装丁によるもので,野田誠三自身も出版に意欲的であった.『窄き門』は堀尾勉が「野田誠三のこと」(昭45.12) [4]の中で, ”堀さんの啓示をうけていた野田誠三が独立した人間としてゆるぎなく打出されている”として,野田誠三自身による純粋造本の確立を示唆している.また『窄き門』は,白水社からも刊行されているが,これを手がけたのが江川書房の江川正之で,江川書房自体でもその刊行を予定していたが,未刊に終わっている.

江川書房が限定版のみの活動であったのに対して,野田書房は普及版の出版にも力を入れていた.野田書房の第2作目は限定出版ではなく小林秀雄訳『テスト氏−全訳版』(昭9.11)の普及版であった.(ただしこれには10部限定版があると言われている).また『聖家族』にも限定版(昭11.1)を出版した後に読者の声に応えるためとして普及版(昭11.10)(内容は「ル−ベンスの偽画」を含む)を出版している.三好達治訳『夜の歌』(昭11.11)は普及版のみで限定版は作られなかった.どの普及版も素材の質は若干落ちるが,細部にまで手の入った純粋造本の良書ばかりである.

江川書房が厳選した良書を少数の愛書家達の為に作ったとすれば,野田書房は良書を低価格でより多くの読者にまで広めようとしていたと言えるだろう.

江川書房と野田書房の関係

江川書房と野田書房の関係については,文献として残されたものは見つけられない.しかし野田書房の作品は,そのモデルを江川書房の作品達の中に見つけることが出来るとされている.堀尾勉は「野田誠三のこと」(昭45.12) [4]の中では,『半獣神の午後』が『大鴉』の,『途上』が『肩車』の手本とされたと,各作品間の関係を指摘している.また江川書房の『テスト氏』が部分訳であったために,野田書房から『テスト氏』の全訳版が出されている.

『途上』と『肩車』はともに限定版であるが,その限定番号に特徴がある.『途上』の限定番号は印刷後,ナンバリングで記入されているが,『肩車』の限定番号は印刷によって記入れている.これは印刷所が一冊ごとに組み換えながら印刷していたということであり,恐ろしく手間のかかる仕事である.『途上』は完成度の高い作品であるが,奥付けの限定番号のナンバリングだけは粗雑な感じがする.『肩車』は,『途上』をモデルとしているから,当然細部にまで意識が行き渡っており,なおかつ,限定番号まで印刷であるから,『途上』の完成形であることを思わせる.純粋造本の基礎は江川書房が,その細部にいたっては野田書房が確立していったことが推察できる一例だろう.

江川書房の雑誌「本」 [8]第3号(昭8.9)には,今後『NSVP叢書』なるものを刊行するとの広告文が残されている.この叢書は,”Collection:Ne se vend pas” の頭文字をとって名付けられ,その処女出版として鈴木信太郎著『半獣神の午後について』を刊行する計画だったが,『半獣神の午後』を出版すると,江川書房は活動を休止してしまったので,当然この『NSVP叢書』は出版されていない.しかし平成8年度の『明治古典会七夕大入札会目録』に,鈴木信太郎著『半獣神の午後 覚書とウ゛ァリアント』という本が掲載された.出版社は江川書房となっていたが,未刊本として扱われていた.実物を見ると,表紙には確かに”Collection:Ne se vend pas” の文字が印刷されており,刊行直前の準備がなされていたことが分かる.

野田書房では12冊の『コルボオ叢書』を出版しており,その広告が雑誌「三十日」 [9]4月号(昭13.4)に掲載されている.その文章と趣旨は江川書房が刊行を予定していた『NSVP叢書』の広告文と非常に類似している.また『コルボオ叢書』にも”Collection:Ne se vend pas”と書かれており,この叢書が江川書房の意図を充分に引き継いでいることが伺える.

この二つの叢書に関しては,高橋啓介著『江川・山本・野田の限定本』 [10]に詳しい.

純粋造本と作家

純粋造本には数人の作家が深く係わっている.そして,純粋造本の作品は, 作家に大きく影響されている.傑作,名作であっても,純粋造本の技法と 相性が悪ければ良書は生み出されない.

そうした意味で 堀辰雄は,純粋造本にもっとも相応しい作家と言えるだろう.江川書房,野田書房 を通じて多くの作品を発表し,その造本感覚を充分に受け伝えた. 見方を変えれば,堀辰雄が江川書房と野田書房を使って,自身が満足する造本を した結果として純粋造本が生まれたとも言えるだろう. また偶然にも,江川書房の処女作,野田書房の処女作と最終作総てが 堀辰雄の作品でもある.

野田誠三が堀辰雄から造本についての啓示を受けていたことは, 堀尾勉「野田誠三のこと」(昭45.12)の中にも書かれているが, 堀辰雄は野田書房と野田誠三については,ほとんど書き残していないので, 堀辰雄が,野田書房をどのように位置付けしていたかは不明である.

嘉村礒多は江川書房から『途上』と『一日』の2冊を出している. 桜楓社刊『嘉村礒多全集』 [11]下巻には,江川正之にあてた 書簡(昭8)が収録されて おり,より個人的な付き合いがあったことを伺わせる.その作風は江川書房に おける純粋造本との相性もよく,2作品とも嘉村礒多の代表作とされている.

鈴木信太郎は,江川書房から『半獣神の午後』を,野田書房からは自らが 装丁した『大鴉』を出している.この2作品は純粋造本と位置付けするには 疑問が残るが,その出来は決して悪くはない.鈴木信太郎が特に 純粋造本に興味を示していた事実はないが,江川書房,野田書房を 良書を作り出せる出版社として高く評価していたようである.

おわりに

優れた作家と作品,装幀者,そして出版社が揃わなければ,純粋造本の技法は確立されなかった.これは純粋造本のみ当てはまるものではなく,総ての良書に言えることであろう.ただ漠然と造られた本と良書とでは,作品が同じであっても,確かな違いがある.それは良書が,その制作に携わった総ての人々の意志を充分に引き継いでいるからにほかならない.

現在の出版物には,このような特徴を持った作品が少ないように思われる.さらに今後は,紙媒体の衰退が進むのは明白で,良書が生み出される土壌が削り取られていくだろう.この様な現状を考えれば, 過去に作り出された良書を保存し,次世代に伝えていくことの意義は大きい.当然図書館も,その一端を担わなければならないだろう.

最後に,本文中で取り上げた3作の解説を付けた.その全てが明治大学所蔵の作品であり,貴重なものばかりである.これによって,純粋造本をより理解していただけるのものと確信する.

資料紹介

ここで取り上げる作品は,明治大学図書館日本近代文学文庫が 所蔵しているものである.この文庫は明治期から昭和戦前までの文学作品の 初版本を重点的に蒐集している.なかでも,元文学部教授佐藤正彰先生 より御寄贈いただいた資料には貴重なものが多く,その殆どに著者の直筆署名が入っている.佐藤正彰先生は フランス文学の研究者であったので,堀辰雄,小林秀雄,堀口大学などのフランス 文学に関わりの深い作家と親交があった.

江川書房,野田書房からも 佐藤先生は作品を出版されており,その代表作ウ゛ァレリ著・佐藤正彰訳『ゲエテ頌』 (昭8.10江川書房)の限定100部のNo.1も日本近代文学文庫の架蔵となった.

同じく佐藤先生より御寄贈いただいた中原中也の『山羊の歌』は,一時小林秀雄の推薦で江川書房より出版される予定だったが,結局文圃堂より 昭和9年に出版された貴重な作品である.

聖家族

昭和7年2月20日江川書房刊.菊半裁判,80頁,仮綴装,たとう納め函入, 500部限定,内1-150部越前局紙刷署名入, 151-500部木炭紙刷,序文 横光利一,所蔵本はそのNo.452.

堀辰雄初期の代表的な長編小説であり,また彼が最初に装丁を手がけた本でもある.

同人であり,友人である横光利一が”聖家族は内部が外部と同様に・・・”で始まる序文を寄せている.この序文は,名作に名序文の典型と言われている.

麦書房の雑誌「本」 [6]の1巻6号(昭39.7)は,堀辰雄の特集を組み,その解説の中で『聖家族』を”時代の文学に対しその独自性を誇るに足るものであった” と評している.堀辰雄は彼の師匠芥川龍之介の作品を模倣するのではなく,新たな文学世界を求めていた.その第一歩がこの『聖家族』であった.

これは,江川書房の処女出版でもある.しかし,装丁をしたのは著者堀辰雄であり,江川正之はこの処女出版を物足りないと感じていた.しかし,出来上がった本は,純粋造本の一つの出発点を示す傑作となった.外函の背には書名と著者名が入っているが,内函には一文字もなく,本体の背にも何も書かれていない純白の出立ちである.当然この装丁は,著者が作品の姿を外見に写しださせたものであるが,これ以上ないと思われるほどいさぎのよい,清潔感溢れる装丁である.また,堀辰雄は,奥付けにも心を配り,みずから江川正之にレイアウトを指示している.江川書房の作品で,著者もしくは装丁者が奥付けに注文を出したのはこの『聖家族』だけであった.江川正之の奥付けに対する思い入れは,江川書房の雑誌「本」 [8]第1号(昭8.4)「奥付と愛情」に江川正之自らが書き残している.

角川版『堀辰雄全集』第2巻 [12]には,堀辰雄自身が書いた「『聖家族』限定版に」が収録されている.この中で『聖家族』は, ”自分の本らしい最初の本”であり,自分で装丁もしたと書いている.そしてこの作品を師匠の芥川の霊前にささげたいとしているところから考えて,堀辰雄の造本感覚の鋭さも師匠芥川から引き継いでいるのではないだろうか.芥川は大正6年阿蘭陀書房刊行『羅生門』を自装するなど,造本においてもその才能を発揮していた.

『聖家族』は,江川版の誤植を正す名目で,昭和11年1月に野田書房から再刊されている. 80部限定で,内60部を著者署名入りにて発売し,書店には出さなかった.江川版にはあった横光利一の序文は除かれている.野田版は江川版の倍ほどの大きさでゆったりと印刷してある為か,江川版ほど鋭い印象は受けない.しかし,読みやすさから考えれば,野田版の方が優れているだろう.

半獣神の午後

昭和8年9月15日江川書房刊.菊倍判,14頁未綴,越前手漉鳥の子色耳付程村紙刷,限定100部,内30部訳者本,署名入訳者本の内,所蔵本はそのNo16.

”装本和紙芸術の粋を極む,総て原本に模す.”

奥付にこう記されているように,訳者鈴木信太郎が,内容の美しさをより高める為に,1876年にパリのドレンヌ書房から出版された初版『半獣神の午後』を忠実に模して作られた.

『半獣神の午後』は,マラルメ生存中に三回単行本として刊行されている.初版は,195部限定版で,エドアル・マネエが挿絵とカットを描いている.表紙は日本の奉書に純金押箔刷,挿絵一葉は美濃紙に二色刷,14頁未綴で黒と薔薇色の紐が挟まれていた.第二版は,初版の活字や形態を模倣しないで独自の出版をするように雑誌「独立評論」(La Revue independante) に著者が托して1887年に出版された.しかし,マラルメの期待に反して酷く粗末な本だった為に,そのまま絶版となった.第三版は,再版と同じ1887に年ウ゛ァニエ書房によって,刊行された.再版の時の廉価版が不満だったために,著者は初版に忠実に作らせた.初版の型を縮めて印刷されたが,美本であった.

この江川版は,紙にもこだわり,奉書より質の良い純白厚手の鳥子紙を使い,挿絵も初版を忠実に復刻させている.後にこの本を蔵書家シャンピオンに送っているのだが,その本の美しさに驚愕し,1934年3月15日号の週刊新聞「コメディヤ」(Comedia)に賞賛の文章を載せた.訳者自身も,この本の装丁には野心を燃やし,それゆえに,最も愛した本の一つだとしている.

駒井清次郎は『日本の限定本』[13]によれば,この『半獣神の午後』は,のちに野田書房より出されたエドガア・アラン・ポウー著・日夏耿之介訳『大鴉』(昭10.3)の手本とされた.造本は同じく鈴木信太郎.番号入り100部限定で出版されたこの本は,『半獣神の午後』より評判が良かったとされている.

地獄變

昭和11年4月25日野田書房刊.菊判桝型,88頁,越前産芥川龍之介文字透漉耳付鳥の子程村紙本,鳥取産藍染織布装帙入外函付,題簽小穴隆一,限定170部内130部発売, 40部は著者本・刊行社本.所蔵本はそのNo.46

「手帖」 [2]第6号(昭10.4)では,正宗白鳥が, ”この一篇を以つて,芥川龍之介の最傑作として推讃するに躊躇しない”と評しているように,芥川の最高傑作の一つである.

房主野田誠三が情熱を注ぎ,堀辰雄の力添えによって刊行された.装丁は堀辰雄.本文用越前手漉和紙には,堀辰雄が所蔵していた芥川直筆署名を透かしに入れ,見返しには小穴隆一が選んだ出雲産雁皮紙を,表紙と帙はこの為だけに特別に織らせた鳥取の藍染布を使っている.日本古来の素材にこだわりながら洋装本として作られたこの作品は,内容,美しさ,強さ,どれを取っても非の打ち所なく,日本と西洋の完璧な調和を持ち合わせている.その素晴らしさは,野田誠三自身が述べているように,この本を手にした時こそ見出すことができるだろう.

なお,「手帖」 [2]第6号(昭10.4)には,野田誠三の「地獄變造本記」が収録されているが,造本の詳しい経緯については,これを参照して頂きたい.

雑誌「暮しの創造」 [14]13号(昭55.6)には,藍染布を使った 3冊の良書,夏目漱石作『漾虚集』,芥川龍之介作『羅生門』,『地獄變』が取り上げられている.漱石と龍之介は師弟関係であり,『羅生門』は『漾虚集』を手本として造られている.また,龍之介の弟子であった堀辰雄が装丁したのが『地獄變』であり,やはりそのモデルを『羅生門』に見ることが出来る.この3冊にはそれぞれの時代を越えて引き継がれた優れた作家達の意志を垣間見ることができる.『地獄變』によって純粋造本を完成させた堀辰雄の造本感覚の根源も,ここにあると言えるだろう.

明治大学所蔵のものには,芥川直筆の葉書がついているのだが,これは芥川の青年期のもので大変貴重なものである.宛先は,芥川が通った中学校の校長であるのだが,内容は簡単な新年の挨拶のみであり,『地獄變』が刊行された時には,芥川は当然亡くなっており,この葉書と『地獄變』との繋がりは,まったくの不明である.

References

  1. 藤森善貢著『本をつくる者の心』日本エディタ−スク−ル出版部, 1986
  2. 「手帖」野田書房, 第1号-第16号 1935-1937
  3. 「これくしょん」ギャラリ−吾八, 1号-100号 1958-1986
  4. 今村秀太郎編『江川と野田本』日本古書通信社, 1970古通豆本6,「江川書房物語」,「野田誠三のこと」収録
  5. 『出版年鑑』東京堂, 1920-1941
  6. 「本」麦書房, 第1巻1号-第3巻2号 1964-1966
  7. 「書物趣味」ブックドム社, 1巻1号-2巻4号 1932-1933
  8. 「本」限定出版江川書房, 創刊号,第1巻-第3巻 1933
  9. 「三十日」野田書房, 第1号-第8号 1938
  10. 高橋啓介著『江川・山本・野田の限定本』湯川書房, 1982蒐書三味シリ−ズ
  11. 『嘉村礒多全集』桜楓社, 上-下巻 1964-1965
  12. 『堀辰雄全集』角川書店, 第1-第10巻 1963-1966
  13. 駒井清次郎著『日本の限定本』書物展望社, 1932
  14. 「季刊暮らしの創造」創芸出版社, 1号-14号 1977-1980.

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