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はじめに

 一昨年前から人文科学研究所と図書館合同の蘆田文庫編纂委員会に参加する 機会を得て,合同作業として蘆田文庫の地図コレクションのデータ作成を行っている。 1991年から数年間,図書館の有志の勉強会として「データベース研究会」で 蘆田文庫の古地図の目録作りに参加した経験があるが,今回の作業は先生方を交え, 緊張したデータづくりとなっており,また以前の「データベース研究会」の時とは 多少違った見方で古地図と向き合っているつもりである。

 合同作業を進めていくなかで,関心を持った一つに「雁道」という地名がある。 そもそも雁道は「韓唐」という地名として私の前に現れた。17世紀後半の有名な 日本図で石川流宣の「日本海山潮陸図」がある。この日本図は記載事項が 豊富なことと,見た目が華やかなことが特徴で,蘆田文庫のなかでもよく知られて いる地図の一つである。この地図の地名の中に「韓唐」という地名が, 日本の北方に描かれている。「韓唐」という文字を見ると,朝鮮半島や, 唐をつい連想してしまうが,この地図には「韓唐」とは別に,対馬の北方に 「朝鮮国」が描かれ,朝鮮半島や中国とはどうも違う地名らしいが,いままで 見聞きしたことがないので気になっていた。流宣の図には「盛岡」を「森岡」と描いてあるものもあり,この「韓唐」もそのたぐいのものか程度の興味であった。

 そうこうしているうちに,実はこの「韓唐」は,そもそも日本図上には 「雁道」という地名であらわれ,のちに「韓唐」などと名称の変遷を重ねた 架空の地名であるということを知り,関心を持つこととなった。

 「雁道」についての研究はあまり多くなく,纏ったものとしては 『絵地図の世界像』(応地利明著,岩波文庫)と『雁道考』(青山宏夫著, 人文地理第44巻5号)の二つがある。ここでは主にこの二つの研究成果をふまえ, その由来,地名の変遷などを探ってみたいと思う。

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