『日本近代の詩人』 解説・目録

「日本近代の詩人」展に寄せて

 学生時代に、ある詩人の詩画集を古書店の店頭で見つけた。当時の私の懐事情からすると高嶺の花とでもいうべき一冊であった。しかし、次にいつ出会えるかわからない。そこで、いつも相談役となってくれていた先輩に、その話をした。即座に彼は答えた。「手元に置いておくことで気持ちよくなれるなら無理をしてでも買うべきだ」と。
 この時私は初めて、必ずしも資料的価値の高い本が自分にとって価値ある本とは限らないことを認識した。もちろん、当の一冊を購入し、事あるごとに開いては、一人の詩人の夢想の世界に遊び、そこから多くの出会いと感動を得た。
 実は、昨今忘れられているのが、こういった図書との出会いであるように思う。図書館の検索端末機器にキーワードを打ち込み、カウンターで図書請求をして、本を受け取るというプロセスからは生まれることのない出会いである。本の森に踏み込んでこそ、自分に語りかけてくる一本の木と触れ合うことができるのではないだろうか。
 幸い、本学図書館には、「近代文学文庫」という貴重なコレクションがある。御寄贈頂いた元予科長・小林秀穂先生の旧蔵書、さらに、元文学部教授・佐藤正彰先生の膨大な蔵書を頂いたのを期に、本学教員と図書館職員の慧眼が選んだ図書が続々と加わり、評価の高い現在の文庫となったものである。
 ただ、図書の保護と保存という観点から、現在は館外への貸し出しはしていない。そのため、案外その存在は知られていないかも知れない。だが、今となっては入手困難なもの・作者の署名や書き込みのあるもの・作者自筆の葉書が挟み込まれたものなど、一見の価値ある図書が目白押しである。
もちろん、資料的価値の高いものもある。
 一例をあげるならば、中原中也著『山羊の歌』。中也の名は著名だが、その初版詩集を実際に見たことのある方は少ないのではないだろうか。本書の編集は昭和7年夏には終わっていたという。ところが、実際に刊行されたのは昭和9年12月10日。なぜすぐに出版されなかったのだろうか。この2年半の間、中也に何があったのだろうか。こう考えるだけでもわくわくする一冊である。また、本書の装幀を担当したのは高村光太郎。ところが、こんな贅沢な詩集でありながら刊行後に販売されたのはたった150冊である。おまけに、本学所蔵本の見開きには、「佐藤正彰様 中原中也」という署名まである。一見に値する貴重書である。
 今回のこの他の展示図書も、現代詩歌の源流に位置する貴重なものばかりである。
 本ギャラリーにて、ゆっくりと詩の森の小径を散策なさり、貴重な出会いを経験して頂ければ幸いである。

(商学部助教授・西山春文)
※なお、展示品中の作家の肖像写真は、日本近代文学館と講談社から使用の許諾を得て、『日本近代文学大事典』全6巻(日本近代文学館編、1977年〜1978年講談社刊)より転載し、パネルの深沢紅子画伯の水彩画は著作権継承者である深沢龍一氏の許諾を得て展示をしています。(明治大学図書館)

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1 島崎藤村 『若菜集』
明治30(1897)年8月29日 春陽堂刊
四六判 紙装 本文196頁 25銭
袋付(当館所蔵本なし)装幀・口絵・挿画:中村不折
MB100/SH17-9//W

 藤村の第一詩集。主として仙台時代に『文学界』に発表した「初恋」を含む51編の詩と序詞を収録。全体の基調は「草枕」に代表されるように季節の春と人生の春を重ねて青春の哀歓をうたう点にあり、伝統詩歌の優美と西洋的な浪漫精神がみごとに融けあっている。近代詩の夜明けを告げた本書は、内容・装幀・愛誦者の数などあらゆる点で、近代詩集の一頂点をなす名詩集。奥付には「著者島崎春樹」、表紙には、「嶋崎藤村著」とある。
 表紙には暗紺色地に大きく蝶を図案している。広範囲の人たちに愛読されたためか初版本の美本は非常に少ない。また、初版本には少なくとも二種類かそれ以上の版があり、当館所蔵本は表紙の著者名の字体が「嶋」の版にあたる(異版で「島」の版あり)。なお、『若菜集』には無地の袋が付いているが、当館所蔵本には無い。第二詩集『一葉舟(ひとはぶね)』は当館未所蔵。
2 島崎藤村 『なつくさ』 
明治31(1898)年12月6日 春陽堂刊 
四六判 紙装 本文187頁 30銭 袋付(当館所蔵本なし)
MB100/SH17-8//W  MB100/SH17-8/B/W

 藤村の第三詩集。14編の詩を収録。詩風が変化し長編の詩が多い。特に劇詩的な要素をもつ「農夫」は力作である。画の題名と筆者とを目次に示しており、『一葉舟』よりもさらに画を尊重する姿勢が示されている。奥付の書名は『夏くさ』、本文当初には『夏草』とある。
 挿画は西郷狐舟、山田傾中、寺崎広業、下村観山、菱田春草、横山大観の6葉。表紙地色は黄、表は白ぬきで夏草が描かれている。口絵、挿絵6葉ともに三つ折り込みで、その題名と筆者とを目次3頁目にあげている。なお、『なつくさ』にも書名、著者画家名、出版社が書かれた袋が付いているが、当館所蔵本には無い。
3 島崎藤村 『落梅集(らくばいしゅう)』 
明治34(1901)年8月25日 春陽堂刊
四六判 紙装 本文254頁 35銭 袋付(当館所蔵本なし)
MB100/SH17-7//W

 藤村の第四詩集。詩と散文の合集で、詩24篇、散文4篇、楽譜1篇が収録されており、散文中にも詩が含まれている。有名な「椰子の實」を収録。詩「勞働雜詠」「壮年の歌」から散文「雲」「七曜のすさび」等、詩から散文への志向を見ることが出来る。奥付には「著者島崎春樹」、表紙には、「藤村著、不折画」とある。
 表紙は多色刷、梅花をあしらった図案模様の中央に書名三字を白抜きしている。序詞は茶刷、その他は色刷なし。なお、『落梅集』にも書名、著者名、出版社が書かれた袋が付いているが、当館所蔵本には無い。

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4 与謝野晶子 『みだれ髪』
明治34(1901)年8月15日 東京新詩社、伊藤文友館刊
菊判変形(短冊ふう) 紙装 本文139頁 35銭 挿絵:藤島武二 
MB100/YO7-12//W

 著者第一歌集。与謝野鉄幹の妻となる以前の旧姓「鳳晶子」の名で刊行された唯一の著作である。初版本は奥付に「鳳昌子」と名前の表記に誤植があるのが特徴である。当館所蔵本は朱で「昌」を「晶」と訂正している。明治39年9月の三版刊行時に著者名は「與謝野」と改められた。若干24歳の女性の手によるこの一集によって真に短歌は近代化を遂げたと高く評価され、雑誌『明星』の文学指標となり、新詩社は黄金時代を迎えた。明治33年8月から翌年6月までの作品399首を収録。『明星』掲載のものが大部分を占める。再版は現存しない。藤島武二による装幀、挿絵で、浪漫的な画風がこの書の内容とよく合っている。表紙は三色刷で、その意匠については巻頭に「表紙畫みだれ髪の輪郭は戀愛の矢のハートを射たるにて矢の根より咲き出でたる花は詩を意味せるなり。」と解説されている。
※参考展示『明星』 MB300/20//W
 与謝野鉄幹は明治32年11月東京新詩社を起こし、機関紙『明星』を明治33年4月創刊した。「詩歌の改革を唱導鼓舞し、新人、新作の紹介、泰西近代の芸術を移植」するという旗印を掲げてスタートした。晶子は強く『明星』に魅せられて創刊に際して社友となり、第2号(明治33年5月)にはじめて「花がたみ」と題して6首の短歌を発表した。『明星』は自然主義思潮が文壇に興隆するとともに勢いを失い、明治41年100号をもって終刊。当館では1号から18号(明治33年4月から明治34年12月刊)を所蔵している。
5 与謝野晶子 『小扇(こおうぎ)』 再版
明治38(1905)年3月10日 金尾文淵堂刊 杉本要書店發賣
三六判 紙装 本文91頁 附録38頁 35銭 挿絵:藤島武二
MB100/YO7-15//W

 第二歌集。初版は明治37年(1904)1月15日発行。再版は上田敏による「みだれ髪を讀む」、山田禎三郎「みだれ髪をよみて晶子女史に寄す」の2編38頁を巻末に附す。鉄幹との結婚後、初めて編まれた歌集で、明治34年9月から36年4月まで、24歳から26歳までの作品259首を収録している。表紙上3分の1に扇をかざして片目を見せる女人の顔を大きく描き、その下に行書体で書名を書いている。二色刷りの挿絵は『みだれ髪』と同じく藤島武二作。『みだれ髪』、明治38年1月刊行の『戀衣』とともに、晶子短歌の初期の作風を確立した三部作とみられている。
6 与謝野晶子 『舞姫』
明治39(1906)年1月1日 如山堂書店刊
四六小型判 布装 本文152頁 70銭 
カバー付(当館所蔵本なし)  挿絵:中澤弘光
MB100/YO7-13//W

 第四歌集。明治38年の『明星』を主とし、『中学世界』『太陽』等に発表した晶子28歳の作品302首を収録。詞は洗練され、格調高く、『みだれ髪』以来の一高峰とも評される。装幀、口絵、挿絵は中澤弘光による。表紙は淡鼠色地で、表左約5分の1は赤紋織風地、右約5分の4の上寄りに舞姫図と書名、見返しは扇を散らした極彩色和紙刷で「まひ」「姫」とちらし書き、カバーにも舞姫が描かれている(当館所蔵本カバーなし)。題名にふさわしい装幀の歌書である。
7 与謝野晶子 『常夏』
明治41(1908)年7月10日 大倉書店刊
四六小型判 布装 本文188頁 定価記載なし
MB100/YO7-14//W

 第六歌集。29歳から31歳までの作品374首を収録。この年の11月には『明星』が満100号記念を最後に廃刊された。装幀は中澤弘光、挿絵は岡田三郎助、中澤弘光による。 

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8 山村暮鳥 『聖三稜玻璃(せいさんりょうはり)』
大正4(1915)年12月10日 にんぎよ詩社刊
菊小型判 紙装 並製 本文98頁 50銭 挿画:広川松五郎
MB100/YA10-1//W

 特装版『聖三稜玻璃』は、にんぎよ詩社(室生犀星、萩原朔太郎、山村暮鳥等の結社)から刊行された第二詩集である。限定50部。バックスキン装、夫婦函、本文100ページ、定価5円。装幀者はのちに宮沢賢治の『春と修羅』を手がけることになる広川松五郎である。本学所蔵本は並製の普及版である。
 「囈語」「だんす」「風景純銀もざいく」など35編の詩が収められている。その詩があまりにも前衛的であったため、多くの人に理解されることなく、『半面自伝』で、その「悪評」は「その秋(大正五年)において極度に達し」、自分を「卒倒」せしめたと記している。しかし、この詩集の特装版は、発行部数が50部と大変に少なかったこともあって、今では大変な稀覯本で、高価な詩集の代名詞となっている。
 著者山村暮鳥は、本名・土田八九十。1884年に群馬町で誕生し、1924年、水戸大洗に没した。聖三一神学校(現立教大学)で伝道師の勉強をしながら、木暮流星等の筆名で短歌を諸雑誌に投稿していた。卒業後は聖公会伝道師として湯沢、仙台、水戸、福島県平など各地に転任する。1910年、仙台基督教会に転任した時、人見東明の発案による「山村暮鳥」の筆名を用いるようになった。

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9 北原白秋 『邪宗門』 再版
明治44(1911)年11月25日 東雲堂書店刊
四六判 表紙薄紙装 本文350頁 85銭 装幀:高村光太郎
MB100/KI23-10//W
 北原白秋の処女詩集『邪宗門』の再版本。初版は明治42年に易風社から上刊された。装幀は石井柏亭。石井柏亭、山本鼎、木下杢太郎による挿画四葉が入り、表紙も紙と赤クロース布を使った当時としては豪華本であった。再版本には挿絵がなく、表紙も紙装になっている。装幀は高村光太郎。作品的には初版にあった『酒と煙草に』、『赤き恐怖』が削除され、『蜩』、『我子の声』が追加されている。
 初版に函が付属するかどうかは長年の謎であったが、近年函付きのものが発見され、装幀の一部ではなく保存用の送り函のような役割だったといわれてる。初版には表紙や目次の場所が違う異版も存在する。
10 北原白秋 『おもひで』
明治44(1911)年6月5日 東雲堂書店刊
菊判裁判 紙装表紙 本文345頁 90銭
カバー付 装幀:著者
司馬英漢の銅版筆彩画写真版1枚付き、著者作カット画挿入
MB100/KI23-31/B/W

11 北原白秋 『おもひで』 15版
大正10(1921)年8月1日 東雲堂書店刊 1円50銭
MB100/KI23-31//W


12 OMOHIDE
大正7(1918)年7月3日 阿蘭陀書房刊
B6版 紙装並製 本文233頁 1円 装幀:著者
全文カタカナ表記、奥付のみ日本語組み、左開き体裁
挿画・写真・カット画等なし
911.56/192//H

 
 北原白秋の第二詩集である『思い出』は、複数のタイトル表記があるのが特徴である。カバーは『思ひ出』、表紙は『O MO I DE』、表題紙は『おもひで』となっている。本文を朱枠で囲む為に二度刷りしたと思われる当時としては豪華な作りである。雑誌「創作」の表紙裏広告に『おもひで』が掲載された時は明治44年2月刊行となっていたが、実際は6月までずれ込んでおり、白秋の慎重さが伺える。
 『おもひで』は初版発行の後も、その紙型を利用して数回増刷されているが、明治44年には4版が、大正10年には15版(定価1円50銭)が刊行されている。この間、資材の変更はあったが、造本・装幀には変更はなく、作品への手直しも殆ど行われていない。大正14年には白秋自らの出版社であるアルスから増補改訂版が出版されている。
 数多く刊行された中で特に異彩を放つのは大正7年に阿蘭陀書房(アルスの前身)から刊行されたローマ字版『OMOHIDE』である。造本・装幀もまったく異なり、左開きの完全な洋装本として出版されたが、その奥付のみは日本語で組まれている。使用されたローマ字はヘボン式とは違い白秋独自の使用がなされているが、その定本となったのは改訂版ではなく、明治44年の初版である。架蔵本は、初版、15版、ローマ字版であるが、初版にはカバーがなく、表紙に描かれたトランプのクイーンが見て取れる。15版はカバーがついているが、初版のカバーとほぼ同様の仕様であると思われる。
 
13 北原白秋 『東京景物詩:及びその他』
大正2(1913)年7月1日 東雲堂書店刊 
四六変形判 紙装 丸背つきつけ表紙 天金 アンカット 装幀:著者 本文328頁 1円
パラピンカバー付(当館所蔵本なし)
木下杢太郎作挿畫:「初夏の遊楽」あり
見返しに竹久夢二蔵書票あり
MB100/KI23-2//W
14 北原白秋 『雪と花火:東京景物詩』 
大正5(1916)年7月1日 東雲堂書店刊
四六判 布装 背角厚表紙 天金 1円 
カバー付 函入 装幀:著者
MB100/KI23-33//W MB100/KI23-33/B/W

 北原白秋の第三詩集。処女作『邪宗門』、第二作『思い出』の流れを継承しつつも、新たな作風が垣間見れる。大正5年7月に第3版を出すに当たって詩1章12編を増補・改装後新たに『雪と花火』として出版された。白秋自身が後版である『雪と花火』を定本にすると明言したために、全集等の多くは3版を収録している。初版と3版に収録された『かおる勘平』は、白秋が同人であった文芸雑誌『屋上庭園』が初出であるが、風俗壊乱のかどで発禁とされた為、両版とも問題個所を削除しての出版であった。
 東京景物詩には保護用と思われるパラピンカバーが付いていたが、非常に薄く破れやすかった為か現存するものは非常に少なく完本としての価値は非常に高いが、残念ながら架蔵本には付いていない。また架蔵本には竹下夢二の蔵書票が見返しに見られるが、その経緯については不明である。
 
15 北原白秋 『雲母集(きららしゅう)』
大正4(1915)年8月12日 阿蘭陀書房刊
四六判 表紙紙および赤クロース布装 本文361頁 1円50銭
函入(当館所蔵本なし) 表紙絵および挿画4葉は著者の手による
MB100/KI23-3//W

 白秋自身が携わった阿蘭陀書房(のちのアルス)から上刊された歌集。大正2年に家族を連れて神奈川県三浦三崎に居を移すが、その地で創作された作品が中心であるため三崎歌集とも呼ばれる。収録作には『梁塵秘抄』の影響が色濃くにじみ出ているとされ、『桐の花』以降の白秋の創作活動の転機となる作品である。
 表紙は紙と赤クロース布を使った他の白秋作品にも見られる装幀であるが、表紙には、蕪と河豚が描かれている。巻末の雲母集餘言では挿画を木版師の手に渡す前に縮小しすぎたことを悔やむ一節が残されている。

 
16 北原白秋 『雀百首』
昭和12(1937)年12月25日 草木屋出版部刊
A4判 本文89頁 20円 函入
裝幀: 山崎斌、木活字、木版刷。木彫活字工作・畦池梅太郎、石坂憲一
木版工作・中村三次郎、用紙作成・佐藤善一郎、表布作成・山崎敏子、齋藤武雄
印刷・横井朝光、製本・齋藤牛次郎
限定100部、 架蔵本は第61冊 
著者署名あり
MB100/KI23-44//W

 北原白秋の自選歌集。『雲母集』以降の作品から主に雀に関するものを選び、約百首をまとめたもの。『雀の卵』、『小田原歌抄』、『白南風』と白秋自身が出版に携わった雑誌『多磨』からの作品が中心である。配列は年代順。作品には、白秋自らの手による改訂があるとされる。巻頭の自署名・手蹟は著者53歳の記念であると巻末にあり。
 出版当時は豪華和本としての評判が高かったと伝えられている。

 
※参考展示 『多磨』 P911/17//W
昭和10(1935)年5月1巻1号刊行、アルス刊。
1冊50銭。各種一括払いあり。
35巻2号(昭和27年12月)まで所蔵。北原白秋主宰。後にアルスより多磨短歌會へ出版者変更。題字北原白秋。創刊号の挿絵は白山春邦。巻頭に白秋による「宣言」あり。
 雑誌『多磨』は白秋が関わる出版社アルスから昭和10年に創刊号が出された。
創刊号から15巻5号まで白秋が主宰を勤めている。その後アルスから多磨短歌會へ出版も移される。
 この雑誌刊行の基盤となったのは、短命に終わった雑誌『短歌民族』、そして歌誌『日光』以来の友人釈迢空らの助力であったといわれる。同年1月には『多磨』刊行の準備の為家族を伴って伊東湯ヶ島に出かけている。発刊と前後して、その他のグループとともに日本大学での短歌講座を開始し、新たな才能の発掘に力を注いでいる。白秋の『多磨』への思いは創刊号の宣言に見て取れる。浪漫主義の復興を掲げて創刊された『多磨』は、晩年の白秋作品が掲載されることも多く、多方面での研究資料としての価値も非常に高い。

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17 石川啄木『悲しき玩具 : 一握の砂以後』
明治45(1912)年6月20日 東雲堂書店刊 
四六判 紙装 地アンカット 天金 本文136頁 50銭
MB100/IS7-6//W
 啄木の第二歌集。啄木の死後、約2ヶ月後に土岐哀果の手により刊行された歌集。194首の歌と「一利己主義者と友人との対話」「歌のいろいろ」の二評論を収録している。歌われている内容は、幼年期から24歳までを歌った『一握の砂』とは対照的に、9ヶ月の日常の生活から主に題材がとられている。
 跋には土岐哀果による『悲しき玩具』命名の事情(啄木のノートには「一握の砂以後(明治四十三年十一月末より)」という表題が付されていたが、東雲堂では『一握の砂』とまぎらわしいとのことで、結局哀果が啄木の歌論「歌のいろいろ」の末尾の一句をとって『悲しき玩具』と命名した)が記されている。
 表紙は鼠茶羅紗紙風の表裏折返で、本体より若干大きい。表の上部に白紙を貼付している。奥付には「著者石川一」とある(表紙、扉には「石川啄木」)。当館所蔵本には、裏表紙裏に旧蔵者と思われる「鈴木文一郎」というサインがある。

 
※参考展示 『スバル』 P905/26//HZ
[第1年]第1号−第5年第12号(全60冊)。
明治42年1月創刊、大正2年12月終刊。昴発行所刊。
発行編集人は創刊号から12号までは石川啄木、以後は江南文三。
 総合文芸雑誌。表紙は和田英作のデザインで、オリオンに追われるスバル七人の女神が印象的に描かれている。『明星』の後継誌として創刊され、幅広い執筆者により文学界に反自然主義的な息吹を吹き込み、後期浪漫主義の中核となった。『スバル』という誌名は森?外のアドバイスにより決定している。啄木は『スバル』創刊時に深く関わり、創刊号から12号までの発行編集人と2号の編集を担当している。しかし、42年4月からの朝日新聞社入社という生活条件の変化もあってか、第2年第12号を最後に啄木は『スバル』から去った。
 『スバル』に掲載された啄木の作品は以下の通り。第1号「赤痢」(小説)、第2号「足跡」(小説)、第5号「莫復間」(短歌六九首)、第10号「葉書」(小説)、第12号「きれぎれに心に浮んだ感じと回想」(雑録)、第2年第1号「一年間の回顧」「巻煙草」(評論)、第2年第11号「秋のなかばに歌へる」(短歌110首)、第2年第12号「死」(短歌12首)。
 当館所蔵本は、第2年第7号から第5年12号の42冊。

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18 萩原朔太郎 『月に吠える』 初版(削除本)
大正6(1917)年2月15日 感情詩社、白日社出版部刊
四六判 アンカット 90銭 
カバー付 挿画:田中恭吉、恩地孝四郎  
北原白秋序 室生犀星跋 
限定500部
MB100/HA1-22//W 

 詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である。(序より)
近代口語自由詩の完成者、萩原朔太郎の処女詩集。大正3年から6年の間に書かれた90余編の中から抒情詩55篇、長詩2篇を選んで編まれたこの詩集は、近代的な感覚を口語自由詩によって表現したもので、その特異な詩風が一大センセーションを与え、当時の文壇、詩壇から多くの賛辞を得た。『おわあ、こんばんは』『おわあ、こんばんは』『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』『おわああ、ここの家の主人は病気です』(猫)この詩のような萩原朔太郎独自の擬声音は、何人もの追従を許さない独自の味わいを出している。また詩だけでなく挿画、装幀の素晴らしさも反響を呼んだ。特に田中恭吉の挿画は、朔太郎の詩的世界と本質的なところで緊密に触れ合っており、詩と絵が一体化した一冊の詩画集として高く評価されている。
 発売に際して内務省より風俗壊乱に該当、発売禁止の内達を受けたため、急遽「愛燐」、「恋を恋する人」の2篇を削除してなんとか発売された。多くの初版本はこの2編が削除されたものだが、朔太郎から直接友人、知人に配られた、無削除本も存在する。
 
19 萩原朔太郎『月に吠える』 再版
大正11(1922)年3月23日 アルス刊
四六判 紙装 アンカット 本文198頁 2円50銭 函入
北原白秋序 室生犀星跋 挿画:田中恭吉、恩地孝四郎
函及び表紙装幀恩地孝四郎
献呈署名入 「淀野隆三君の為に 萩原朔太郎」
MB100/HA1-15//W  MB100/HA1-15/B/W 

 大正6年の発売後、絶版となった詩集『月に吠える』だったが、しかし私の詩の愛好者は、私が当初に予期したよりも遥かに多数であり且つ熱心でさえあった。最初市場に出した少数の詩集は、人々によって手から手へ譲られ奪いあいの有様となった。古本屋は法外の高価でそれを皆に売りつけて居た。(古本の時価は最初の定価の五倍にもなっていた。)私の許へは幾通となく未知の人々から手紙が来た。どうにしても再版を出してくれという督促の書簡である。(再版の序より)
このような要望もあり、ついに大正11年3月にアルスより再版された。再版では、初版で削除された2編の詩がそっくり収録されている。その他、初版との相違点は表紙にカバーを掛けただけだったのが函入りに、挿画が15種だったのが8種に、献辞の「従兄 萩原栄次氏に捧ぐ」が「故田中恭吉の霊に捧ぐ」に差し替えられている点などが挙げられる。明大所蔵本には、前扉に献呈署名(サイン)がはいっている。献呈者の萩原朔太郎(文学部文芸科講師)、受贈者の淀野隆三(文学部教授)ともに文学部で教鞭をとっており、明治大学に関係の深い、ゆかりのある資料といえるであろう。
見返しに蔵書票「高畠蔵」あり。

 
20 萩原朔太郎 『青猫』
大正12(1923)年1月26日 新潮社刊  
四六判 アンカット 本文220頁 挿画4葉
2円 函入
装幀:著者
付録「自由詩のリズム」51頁 
MB100/HA1-11//W

 『月に吠える』刊行後しばらく萩原朔太郎は詩の発表を断り、思想表現の方途を求めて思索生活に没入していた。その成果として多くのアフォリズムを集めた感覚的な哲学ともいうべき『新しき欲情』をアルスから出版している。大正10年ごろより詩の発表を再開した朔太郎は、大正12年に第2詩集『青猫』を新潮社より刊行した。詩集『青猫』は大正6年から11年の間に作成、発表された詩55篇が選んで収められ、他に詩論「自由詩のリズム」を附している、詩と詩論の合集である。
 もともと朔太郎は第2詩集のタイトルを『憂鬱なる』と考えていたが、当時この言葉が各方面で使用されるようになり、言葉の新鮮さを失ったため、『青猫』へと変更した。奇妙なタイトル『青猫』の青とは、英語のBLUE、「疲れたる、怠惰なる、希望なき」という意味を表象しており、詩集全体にも無為と倦怠の意識が濃く漂っている。
朔太郎自身の手で装幀されており、その出来ばえは、まずまず中くらいだったと後に自身で記述している。

 
21 萩原朔太郎『萩原朔太郎詩集』
昭和3(1928)年3月25日 第一書房刊
A5判 皮装 三方金貼 6円 函入 
装幀:長谷川巳之吉
MB100/HA1-6//W

 詩は学問でも技芸でもない。
既刊の4冊の詩集、『月に吠える』『青猫』『蝶を夢む』『純情小曲集』に「青猫(以後)」の20篇を加え、新たに編纂しなおして昭和3年3月に第一書房より刊行。編纂の順序は創作年代により、「愛燐詩篇時代」「月に吠える時代」「青猫時代」「青猫以後」の4期に分類し、さらに各編を前期と後期にわけているところにこの詩集の特色がある。巻末には「校正について」というかなづかいに関する覚書を附している。この詩集は、出版を文化を促進して世を導く、文化の基礎工事と主張していた長谷川巳之吉の主催する第一書房が、当時相次いで出していた豪華本詩集の一冊で、皮装に金箔で縁取りされたとても美しい本である。
 

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22 室生犀星 『愛の詩集 : 室生犀星第一詩集』
大正7(1918)年1月1日 感情詩社刊 
四六判 布装 地アンカット 背角 
本文228頁 1円20銭 函入(当館所蔵本なし)
MB100/MU8-3//W

 犀星の第一詩集。序文は北原白秋、跋文は萩原朔太郎である。作品51編を収録。従来の文語調をすて、平明な口語調に移り、当時の人道主義的傾向の影響によって、人間の愛や真実を感動的にうたい、詩壇に広く影響を与えた作品。
 表紙は暗赤色の羅紗紙風邪で、表に欧文"LA POESIE DE L'AMOUR"と少女肖像の黒刷(なお、この表紙の少女はその頃著者が系統していたドストエフスキーの『虐げられし人々』の少女ポーラネグリの顔。恩地孝四郎の絵。)、背に書名と「室生犀星詩集」との金押、函は貼函で、表と背とにそれぞれ白紙片を貼り、表紙には書名、少女肖像、年代、著者、発行所を、背には本体背と同じことをそれぞれ黒刷している。大見出しに大カット風挿絵4図、その他のカット風の挿図(清水太郎画)などがあり、扉絵その他も恩地孝四郎画であるが、すべて黒刷になっている。献辞は「みまかりたまひし父上におくる」とある。

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23 宮沢賢治『春と修羅』
大正13(1924)年4月20日 関根書店刊
四六判 布装 本文320頁 2円40銭
函入(当館所蔵本なし)
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 宮沢賢治の詩集。ただし、本人は詩集と呼ばれるのが恥ずかしくて『心象スケッチ』と称していた。しかし、背文字をお願いした、歌人尾山篤次郎が背文字に『詩集』と書いてしまったので、賢治は自分でブロンズの粉で消したと言われている。装幀は山村暮鳥の『聖三稜玻璃』と同じく斬新なデザインで知られた広川松五郎で『春と修羅』のタンポポの意匠も異彩を放っている。関根書店は東京の書店であったが、これは単に配本の便宜のためと言われている。印刷は花巻の吉田忠治郎が行った。賢治は毎日のように顔を出して校正などを手伝っていたが、出来上がったものには誤植が多く、奥付の裏には二十箇所におよぶ正誤表が貼り付けられている。このことは、初めて出版される自分の本に、嬉しくて、わくわくしていた若い詩人の心の高ぶりを表しているのかも知れない。
 地方の無名の詩人の本は辻潤や佐藤惣之助そして草野心平などごく一部の人に受け入れられたのみであった。草野心平は雑誌「群像」に次のように書いた。「詩集『春と修羅』の上梓された大正十三年頃は新感覚派の勃興時代であった。彼の詩は新感覚派的要素をも多分に持ってゐて、むしろそれよりも新鮮だった。しかしその本は神田の露天で投げ売りされてゐた。売価五錢で。」
 ちなみに、明治大学の蔵書は宮沢賢治本人から寄贈されたものである。しかし、それは登録台帳に記されているだけで、遺憾ながら賢治の痕跡を確かめることは出来ない。

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24 井伏鱒二 『厄除け詩集』(コルボオ叢書7)
昭和12年5月25日 野田書房刊
四六小型判 23頁 1円50銭(会費)
フランス製木炭紙仮綴装、本文越前別漉純白局紙、漉紙は山田九兵衛
アンカットフランス装
「コルボオ叢書規程」別葉添付、コルボオ叢書全12巻の第7巻
限定150部、架蔵本はNo38 著者自筆署名あり
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 純粋造本で名高い野田書房が著者並びに出版者が読者等に贈呈することをその目的に刊行した「コルボオ叢書」の一冊。野田書房の象徴「鴉」のフランス語「コルボオ」がその名の由来である。この叢書は「初版本」を原則とし、会員のみに配布された。(12巻の『伊豆の踊り子』は、定本とするために著者の希望で例外的に刊行された)。材料のフランス紙が輸入禁止になったのを契機に、12巻でその刊行は終焉を迎えている。
 『厄除け詩集』は後に幾度も増補・改定の後出版されるが、コルボオ叢書版は初版として非常に評価の高い作品である。また、序にはタイトルの由来が井伏自身の文章で記されている。後版に収録された漢詩「勧酒」の名訳として名高い「花に嵐のたとえもあるさ・・・」は初版では見ることができない。本来、著者署名なしで出版されたが、架蔵本にはペン書きの署名が残されてる。

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25 三好達治 『測量船』(今日の詩人叢書)
昭和5(1930)年12月20日 第一書房刊
四六判 紙装 背皮つぎ表紙 本文117頁 1円  函入 1000部
著者署名あり

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 著者第一詩集。昭和初期に始まる新しい抒情精神を代表する名詩集として知られ、この1巻によって三好達治の名声は決定的となった。この時30歳。雑誌『青空』『椎の木』『亜』『詩と詩論』などに発表された大正15年から昭和4年までの作品を収録する。序歌1首、詩15篇、散文詩23篇の計39篇を集め、『今日の詩人叢書』の第2集として第一書房より刊行された。詩集名と同題の詩もなく、またこの書名選択の理由も述べられていないので、書名の由来は不明である。特厚ボールに紙装・背皮つぎ表紙・背文字金箔押し・天金という凝った造本である。表紙の紙は第一書房を経営した長谷川巳之吉氏によれば、当時の襖紙をそのまま用いたもので、複雑でやわらかい模様に金粉がちりばめられている。昭和22年(1947)1月の南北書園からの再刊(当館所蔵)にあたって、14篇を増補し、また「今度の編纂では、一二辞句の明らかな誤謬―当時の無知や不注意からおかしたものを訂正した外、また数個の誤植を正しておいた外、作品に手を加えることはしなかった」と作者後書にある。当館所蔵本は著者から佐藤正彰先生に宛てた署名がある。
26 三好達治 『南窗集(なんそうしゅう)』
昭和7(1932)年8月1日 椎の木社刊
菊判 紙装 雁皮紙袋入 市販本定価80銭 限定350部
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 第二詩集。椎の木社は詩人百田宗治の経営する出版社であるが、百田はまた詩壇的に三好達治を最も早く認めた批評家でもあった。口語体4行詩31篇を収録。初版は350部限定で、うち予約番号入りが250部、番号なし市販本100部、ほかに著者本50部がある。明大所蔵本は著者寄贈本の第16冊にあたる。当館所蔵本は、雁皮紙の袋が付いた完本で、たいへん貴重なものである。
27 三好達治 『山果集(さんかしゅう)』
昭和10(1935)年11月7日 四季社刊  
四六判小型 紙装 袋綴 頁付なし 80銭 函入
限定500部
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 第四詩集。口語四行詩49編を収録。袋綴じの体裁で、500部限定印刷で刊行された。番号は付されていない。書名はこの頃志賀高原にあって親しんだ陶淵明の詩句から採られたと推定される。
28 三好達治 『艸千里(くさせんり)』
昭和14(1939)年7月25日 四季社刊  
菊変形枡形判 紙装  本文73頁 2円 カバー付
装幀:松井直樹 
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 第五詩集。詩23篇、散文詩2篇を収録。本文が烏の子紙の特製版と、中質紙の普及版とががある。明大所蔵本は特製版。書名は作品「艸千里浜」から採られた。
29 三好達治 『羈旅十歳(きりょじっさい)』
昭和17(1942)年6月15日 臼井書店刊
菊判 和本仕立 袋綴 同色帙入 1冊 2円80銭
MB100/MI21-20//W 

 3番目の総合詩集。測量船から1篇、南窗集から5篇、濶ヤ集から8篇、山果集から8篇、艸千里から6篇、一点鐘から3篇、新詩7篇及び短歌18首、俳句23句を収録。書名の由来は収録の詩題による。なおこの集の新詩6篇は朝菜集に再び新詩収録として扱われている。

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30-32 日夏耿之介(ひなつこうのすけ)『日夏耿之介定本詩集』全3巻
第一書房刊 各限定330部 
四六判変形 皮装 予約頒価3冊12円 
3冊あわせて布貼紐付四方帙入
表裏表紙に木版画入 挿絵:長谷川潔 
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第1巻『轉身の頌(てんしんのしょう)』昭和2年2月3日
  元版は大正6年2月、光風館刊。限定100部。                   
第2巻『黒衣聖母(こくいせいぼ)』大正15年9月28日
元版は大正10年6月、書肆アルス刊(自装)。
第3巻『黄眠帖(こうみんちょう)』昭和2年11月1日

 各冊にパリで摺られた長谷川潔自刻オリジナル銅版画3葉が含まれていて、たいへん珍重されている。たいへん贅沢な装本で、当時としては恐らく画期的な造本であった。表紙、裏表紙両方に木版画が入っている。世界的銅板画家長谷川潔は銅板画を志す前に明治大学と仄かな縁がある。当館所蔵本は限定100部のうちNo.54。『轉身の頌』は著者の第一詩集、『黒衣聖母』は第二詩集である。
 日夏耿之介(1890〜1971)は詩人、英文学者。本名樋口国登。長野県飯田市生まれ、大正三年早大英文科卒。在学中西条八十、長谷川潔らと詩誌『聖盃』を創刊、のち『仮面』と改題。卒業後は芥川龍之介らと「愛蘭土文学会」を起こした。
 雅号は夏黄眠、黄眠道人、溝五位、聴雪盧主人等三十数種。第二詩集『黒衣聖母』の序文において、自らの詩風を「退嬰性と向日性と不安性」の思想と「沈鬱と奇古と反撥性」の感情とをひとつのミクロコスモスに結晶させた「ゴスィック・ローマン詩体」と称している。詩人自身の解説に従えばこの『黒衣聖母』に胚胎した「ゴスィック・ローマン詩体」が煉金叙情詩風として展開したのは『咒文』においてであるという。語法は晦渋で取っ付きにくい感があるが、読み込むほどに味わいが深まっていく。
33 日夏耿之介『詩集咒文(ししゅうじゅもん)』
昭和8(1933)年2月 戯苑発售処刊
四六倍判 和紙装絹糸綴 アンカット 三色刷 装幀:山崎喜三郎
限定107部 著者署名入
MB100/HI4-6//H

 著者自らの撰になる『咒文乃周囲』『薄志弱行ノ歌』『塵』『蛮賓歌』の4編を収録。日夏耿之介の煉金抒情詩風はこのわずか30ページ足らずの詩集に結集されているという。本文は著者名透入和紙。当館所蔵本は限定107部のうち第69冊。限定部数のうち10部は、自署本で、表紙に紐が廻してある。当館所蔵本はその10部本ではないが佐藤正彰先生宛の献呈署名入である。
34 エドガア・アラン・ポオ著 日夏耿之介訳 『大鴉』
昭和24(1949)年5月20日 冬至書房刊 エドアァル・マネ挿画
半紙全紙判 未綴本  450円(特製)紙帙、たとう、函入
限定300部
MB100/HI4-10//W

 本書は、野田書房刊行本(昭和10年3月刊、限定130部)と同じ体裁で、日夏の故郷でもある長野県飯田の出版社、冬至書房より刊行された。原本に忠実な再刻を意図している。野田本『大鴉』は江川書房刊の『半獣神の午後』(マラルメ著、鈴木信太郎訳)と本の形に大小はあるが、ほとんど同一装幀であった。意匠が同じ鈴木の手によるものであったためであろう。特製版は、本文も紙帙も、郷里長野県の月明紙が用いられている。
訳詩の内容は、本書に先立つ昭和22年に洗心書林より刊行された『ポオ秀詞三十餘品』に収録した形にさらに若干の改定を加えて、「大鴉最後決定テキスト訳本ついに成る」(本書後語より引用)出来ばえとなった。300部限定で刊行、うち1番から150番を特製、151番から300番を並製とした。当館所蔵本は特製版の第37番である。

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35 堀辰雄 『堀辰雄詩集』
昭和15(1940)年10月25日 山本書店刊
半紙判 未綴本 6枚  A版15円、B版3円
帙・外カバー付
表紙フランス製カンソンシ色木炭紙重ね折、本文フランス製タイクン木炭紙二色刷
深澤紅子手彩色デッサン1葉、および肉筆水彩画1葉・肉筆ならびに手彩カット挿入(A版のみ)
立原道造宛の著者献辞別葉添付
限定180部、内30はA版、150はB版。架蔵本はB版No.128
MB100/HO1-13//W

 若くして逝った立原道造が堀辰雄の即興的に作った3作の詩を美しい小冊子に仕立て挙げたのが原型だとされている。その後、著者が深澤紅子に立原の好んだ自然を描いてもらい、新たな作品としてこの世に送り出した。著者はこの詩集を立原の墓前に手向けたとされているが、別葉にはこの詩集と亡き立原への思いが、その悲しみとともに綴られている。
 A版とB版の違いは、主に深澤紅子によるカットや水彩画である。またB版を直接注文した場合には、別途著者自筆の詩が添えられたとされるが、架蔵本にはない。深澤紅子の自筆によるA版の美しさは格別であるが、発行自体が小部数でありかつ、殆どが友人等に贈られた為、その素晴らしさを直に味わうことは難しい。しかしB版でもその素晴らしさの一端は十分に堪能することができる。

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36 中原中也 『山羊の歌』
昭和9(1934)年12月11日 文圃堂刊
菊倍変型 未綴本 145頁 3円50銭 函入
装幀:高村光太郎
表紙鳥の子紙、本文コットン・ペーパー、貼奥付楮紙、
限定200部、内150部発売
架蔵本はNo.12 著者直筆署名入
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 中原中也の処女出版。昭和7年より編集に着手したが、資金難の為、印刷のみ行われた。その後当初の自費出版を断念し、幾つかの出版社に話を持ち込むが、2年間は引き受け手が無く、最終的には小林秀雄の紹介により文圃堂からの出版となった。当初、青山二郎の装幀を予定していたが、最終的には高村光太郎の装幀で作られた。後に、青山二郎の表紙案も発見されている。書名等はすべて高村光太郎の筆によるものである。
 『山羊の歌』には、山羊はまったく登場しない。このタイトルは、中也が自身を山羊に似ているとしたことに由来していると言われている。
 
37 中原中也 『在りし日の歌』
昭和13年4月15日 創元社刊
四六版 丸背 紙装付き表紙 花布付き 函入
本文152頁 装幀:青山二郎
初版600部、同年6月300部再版
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 著者の急逝により死後出版となったが、著者自選詩集である。病気療養の為郷里に引篭もる際に原稿を友人である小林秀雄に引き渡した。そのため著者校正を受けておらず、作品中には字句・区切り等に訂正漏れがあるといわれているが、印刷原稿が消失しているため検証ができず、現在も詩句の解釈に疑問の余地が残るとされている。『在りし日の歌』の題名は中也自身の選である。収録された作品は主に『山羊の歌』以降のものであるが、長男の死や自らの病から生み出された中也独自の生死感が色濃く滲み出している。
 当初600部のみの出版であるとされていたが、後に出版元である創元社で出版当時の記録が見つかり、同年に300部を再版したことが判明した。

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「日本近代文学文庫」(和泉図書館、約3000冊)
 小林秀穂元予科長の寄贈書(文学、哲学書100冊)をもとに、昭和22年に「小林文庫」として設置。明治から昭和戦前期までの文学書の初版本コレクションである。日本文学の授業で薫り高い文学書初版本を学生に触れさせたいとの考えからであったと伝えられる。1991年に故佐藤正彰元図書館長・文学部教授の旧蔵書を受け入れるにあたって現名に改称した。(『図書の譜』第2号より転載)
●検索は全て当館OPACで可能です。学外からはhttp://opac.lib.meiji.ac.jp/にアクセスしてください。
●佐藤正彰先生旧蔵書は冊子体目録があります。『明治大学所蔵 佐藤正彰旧蔵書目録』(明治大学図書館 2002年3月刊行)
第3回 明治大学中央図書館企画展示 日本近代の詩人
                       (近代文学文庫No.1)
編集委員 伊藤孝幸・梅田順一・奥村敏明・高橋美子・
       中林雅士・畑野繭子・平田さくら
発   行  明治大学図書館
発 行 日  2002年11月20日

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