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注

  1. 参照:岩井憲幸〈蘆田文庫未整理地図類中のロシアにかかわる三図について〉「図書の譜」第3号 1999年1月。
  2. 国立公文書館内閣文庫所蔵本(函架番号185-579) に附された地図をさす。この『北搓聞略』12冊10枚2軸は将軍への上呈本であったろう。現在重文。
  3. オランダ国・王立歴史文書館所蔵本のマイクロフィルムによる。なお当該個処のテクストは3つ現存するというが,どれがオリジナルであり,どれがコピーであるか,目下未詳ゆえに,今,手許にとどいたフィルムよりのテキストに従うものとする。注5も見られたい。
  4. 以下の梗概は次の『日記』英語抄訳本による:Cynthia Viallé & Leonard Blussé, The Deshima Dagregisters; their original tables of contents, Volume X, 1790-1800. Institute for the History of European Expansion, Leiden, 1997.
  5. 翻刻・引用に際し,綴り字や分綴については原文のまま。誤綴も正さない。ただし punctuation と大文字の使用については現代風に改める。[ ]は筆者の補いである。
  6. [ ]は和訳での筆者の補いである。
  7. 次の書による:大槻玄沢「西賓対晤」(大鳥蘭三郎解説)「日蘭学会会誌」第2巻第1・2号 1978年3月。
  8. 西暦1794年6月1日・同2日は和暦寛政6年5月4日・同5日にそれぞれあたる。(内田正男『日本暦日原典』雄山閣 昭和50年,野村寿三郎『日本暦西暦月日対照表』日外アソシエーツ 1987年。)
  9. 山路は宝暦11年(1761)生,文化7年(1810)歿。佐々木を佐々木長秀とする説があるが,時間的にあわない。(岩波書店『国書人名辞典』および雄松堂『洋学史事典』参照)。
  10. 引用は次の書による。引用に際し漢字は新字体を用い,ルビは省略した。亀井高孝『北搓聞略』 三秀舎 昭和14年再版。
  11. 引用は次の和訳および注による。引用にあたり漢字は新字体を用い,漢数字をアラビア数字に改めた。播磨楢吉訳註〈露国最初の遣日使節アダム・ラクスマン日誌〉「史学雑誌」第34編第2号附録,同第5号附録,同第6号附録 大正12年。また次を参照せよ:播磨楢吉〈露国最初の遣日使節ラクスマン〉「史学雑誌」第34編第1号 大正12年。
  12. 鈴木熊蔵はネムロで病歿することがラクスマン日記露暦1793年5月4日の条に見える。
  13. 寛政4年(1792) ネムロで成立。市立函館図書館所蔵。次も参照せよ:村山七郎〈加藤肩吾著「魯西亜実記」(魯西亜紀聞)の文献学的研究〉「順天堂大学体育学部紀要」第10号 1967年12月。
  14. 引用文中(?)等は原訳者による。
  15. 『日本古地図大成世界図編』〈解説〉講談社 昭和51年。
  16. 船越昭生〈高樹文庫蔵断裂地球儀図について〉「史窓」第52号 平成7年3月。
  17. 船越昭生『鎖国日本にきた 「康煕図」の地理学史的研究』法政大学出版局 1986年。
  18. Jean Baptiste Nicolas Denis (1707-1780). 海図学者。Neptune Oriental, Paris Dezanche, 1775が有名。(Tooley’s Dictionory of Mapmakers, N. Y.-Amsterdam, 1979.)
  19. 参照せよ:岩井憲幸〈ゲッチンゲン大学蔵大黒屋光太夫筆日本図について〉「明治大学教養論集」通巻269号 1994年12月。
  20. 島谷良吉『最上徳内』吉川弘文館 昭和52年。
  21. 徳内が田辺からこの書を寛政5年(1793) に借りて写したことが鷹見泉石の転写本によって知れる。泉石はこれを『魯西亜言語集』と名づけているが,泉石による文化4年(1807) 10月の写本である。次を見よ:岩井憲幸〈鷹見泉石旧蔵ロシア語関係資料若干についての覚書〉「泉石」第1号 古河歴史博物館 1990年11月;同〈天理図書館蔵『魯西亜語類』について〉「明治大学教養論集」通巻247号 1992年3月。
  22. 田保橋潔『増訂近代日本外国関係史』(刀江書院 昭和18年)〈第五章 十八世紀末期の日露関係〉(p. 133-) 以下の最上徳内に関して参照せよ。
  23. 函架番号186-762.
  24. 海野一隆〈日本学士院所蔵無題東西両半球図〉『洋学1』 八坂書房 1992年。
  25. 高樹文庫図・松井図ともに次を見よ:船越昭生〈高樹文庫蔵「地球ノ図」について〉「石黒信由遺品等高樹文庫資料の総合的研究」第2輯 昭和59年。さらに注16の同氏論文参照。
  26. 注16船越氏論文。注25同氏前者論文中ではさらに細かく年紀を示すが,注16論文(平成7年)に述べる説をとる。
  27. もう少し有効な例をあげたい。レザノフ将来のロシア地図は原図が横浜市立大学鮎沢文庫に伝存しているが,刊年を全く示していない。しかしながら,中央の寓意図は直接見ることができる(この寓意図は鷹見泉石の写図中にも精密に写しとられている)。原図のタイトルは次の通りであるが,この図を船越氏ははじめ1794年頃の刊行と推定し,近年1800年刊と訂正している。(前者,注17の書。後者,同氏〈こだまする地図〉「史窓」第53号,平成8年3月)。
     ГЕНЕРАЛЬНАЯ КАРТА РОССЙСКОЙ НМПЕРЙ НА СОРОКЪ ОДНУ ГУБЕРНЮ РАЗДЪЛЛЕННОЙ.[41県に分割されたロシア帝国総図]
    1800年刊の点は Nordenskiöld Collection のカタログでも確認したとある。実のところこの図ときわめてよく似た図が1995年11月国立国会図書館で開催された〈ロシア国立図書館所蔵地図展〉で展示された。図録番号16がそれであるが,しかしこの図では帝国が42県に分割されている。本図は1792年刊アトラスの一枚とされる。さてしかし,1800年図と1792年図の寓意図はその中央のロシア語タイトルはむろん小異があるものの,図そのものはよく似ている。ただ,1800年図は左側の女性像が顔を左向きにして目は左前方の冠つきの〈●〉をみているのに対し,1792年図は左側の女性像は左下の天使に目がむけられているのである。図録の写真には1800年図の〈●〉にあたる個所は写っていず,筆者の記憶でも何もなかったと思う。だが本図を含むアトラスのタイトルページ寓意図中左上には〈●〉の紋章が神々しく描かれているのである。すなわちこのアトラスがエカテリーナ�鏡ぜ�世(1762-96) 下の刊行であることを示す。1792年はその期間内に入る。一方1800年図の場合〈●〉があることから,これはパーヴェル�祇い量罎任△蝓い茲辰討修亮�世下に刊行されたはずである。この皇帝の存位は1796年から1801年と短いのであるが,これによって1794年刊の推量は無理であって,1800年はこの枠内に入るのである。まったくの参考までに記しておきたい。
  28. 写真が次の No. 18に掲載されている:「秋岡古地図コレクション名品展」神戸市立博物館 平成元年。
  29. 秋月俊幸『日本北辺の探険と地図の歴史』北海道大学図書刊行会 1999年。および私信による。
  30. 岩井憲幸〈幻の光太夫将来日本図〉「窓」第97号 ナウカ 1996年6月。

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