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蘆田文庫蔵書印記(その1)

菊 池 千 香 子


 和算家。
 幼名宗太郎,通称彌十郎,号は有頂,立亭。
 村瀬孝亭,御粥安本に算術を学ぶ。文久 3 年頃,江戸市ヶ谷に立算堂を設立する。明治 3 年に静岡藩学校に入学し,洋学を学ぶ。同 5 年,名を朝鄰に改める。同 6 年に上京し,陸軍戸山学校や士官学校の数学教官を務める。同10年,東京数学会社(後の日本数学物理学会)創立の際には同会雑誌の編集に携わった。同15年,麹町富士見町に立算堂塾を設立。その後,陸軍を辞し静岡の師範学校などに勤務した後,19年陸軍参謀本部陸地測量部で三角測量に従事し,測量のために各地へ出張する傍ら,和算家の調査を行った。43年,静岡県鈴川に隠居し,和算家や日本数学史の研究を発表した。著作に『数理起源』『丁卯雑解集』等がある。蘆田文庫で一番多く印顆が見られるのが朝鄰のものである。蘆田氏旧蔵の『立●堂地籍目録』によって,朝鄰の収集の全容を知ることができる。
「静岡・立●堂・蔵書印 川北朝鄰」
(直径3.4 cm 朱印)
○大日本與地全圖(資料番号:09-45)


 幕末・明治初期の政治家。 通称,桂小五郎,後に木戸貫治,準一朗,孝允と改名。号は松菊,竿鈴,干鈴,木圭,広寒など。変名も数多く用いる。
 嘉永 2 年,吉田松陰に入門。その後,尊皇攘夷運動に参加する一方,勝海舟ら開明派とも親交をもつ。慶応 2 年,西郷隆盛との間に薩長連合密約を結ぶ。明治新政府で参与となり,「五箇条の誓文」起草や版籍奉還や廃藩置県の実行に関わる。明治 5 年から 6 年,岩倉具視の遣外使節団の全権副使として参加。同 7 年,岩倉らの台湾出兵に反対し,参議を辞任。
「松菊舎木戸氏蔵書印」
  (3.5×3.5 cm 朱印)
○銅版大日本精圖(資料番号:09-51)


 越前福井藩主。
 幼名錦之丞,通称越前守,字公寧,号は春嶽,春岳,礫川。
 天保 9 年,第十六代藩主となる。藩財政再建などに成果を上げた。井伊直弼と対立し,安政 5 年に隠居謹慎の処分を受けたが,桜田門外の変後,政治総裁職として幕政改革に従事。明治 3 年,公職を退いて文筆生活に入り,『逸事史補』『幕儀参考』などを著した。
 春嶽公記念文庫は,慶永の子息慶民に伝えられた史料によって大正 6 年創設され,現在は福井市立郷土歴史博物館が所蔵している。蘆田氏は文庫創設時に委員として名を連ね,『松平春嶽全集』(松平春嶽全集編纂刊行会 昭和4-18) を編集した。明治大学図書館には蘆田氏旧蔵と思われる『春嶽公記念文庫新作目録』『春嶽公記念文庫御書籍并絵図台帳』がある。
「春嶽公記念文庫」
(3.6×2.4 cm 朱印)
○萬國航海圖(資料番号:04-48)


 幕末明治期の浮世絵師。
 通称高二,名安信,字義卿,号は翠栄堂,直水,霞居。
『狂歌一笑集』『豊臣勲功記』など狂歌本や読本に多数の挿絵があるほか,『淀川両岸一覧』『宇治川両岸一覧』が有名である。
「松川」 「半山」
(各1.3×1.3 cm 朱印)
○銅版大日本精圖(資料番号:09-51)


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