これまで言われているところの，吉田用水とは，について述べることにする。
常総台地の地域を扱った作品に長塚節の『土』(1910 M43 朝日新聞連載)がある。そのなかで長塚節は吉田用水を次のように眺めていた。
�� 「大きな藁草履は固めたような雪解の泥がくっついていて，それがぼたぼたと足の運びを鈍くしている。狭く連っている田を竪に用水の堀がある。二三株比較的大きな榛の木の立っている処に僅一枚板の橋が斜めに架けてある。お品は橋の袂で一寸立ち止った。そうして近づいた自分の家を見た。村落(むら)は台地に在るのでお品の家の後ろは直に斜に田圃へずり落ちそうな林である」
この，「竪に用水」は吉田用水の支線で，国生の北側を流れている将門川である。
�� 「周囲の台地からは土瓶の葢をとって釣瓶をごっと傾けたように雨水が一杯に田に聚って稲の穂首が少し侵った。田圃も堀も一つに成った水は土瓶の口から吐き出すように徐(おもむろに)に低い田へと落ちる」
このように，吉田用水はいくつもの田んぼをつないで，用水・排水を繰り返して行く機能を持っていた。
また，長塚節と同時代に，地理学者の吉田東伍(『利根治水論考』1910 M43) は，吉田用水を次のように記述している。
「飯沼吉田堀。近世，鬼怒川の右岸に，飯沼の墾闢と吉田堀の開通ありて，頗耕田の額を加へたり。是れ皆，享保の治水家として，又紀州流の土木開祖として，世に知れし，井沢弥惣兵衛の功績なるが，其詳叙は，下総舊事考の川澤志にありて，文長ければ，此に之を省く」
さらに，長塚節の『土』の舞台になった，国生には，現在「国生地区土地改良完成記念碑」[3] (1981 S56 7) が建てられている。その記念碑には，以下のように刻まれている。
「此の耕地は，元鬼怒川の細流にて，東方台地は国生の元屋敷である。
畑地を廻り然もその中には大小の沼あり，真菰や葦の生い茂る荒田，膝までつかる深田であった。
秋は豊作の夢も一夜の雨に苦労の穂波をのみ湖と化することしばしばなり。潅漑排水の便悪い故(ママ)因〈原因の誤りか〉。従って後継者の意欲全くなく，隣接の機械化を見て只うらやむばかりなり。此のままで行くならば当然廃地と化すものである。
これを見かねし地元有志議を起こし，地益者113名に土地改良の要を説き，遂に昭和49年賛同を得て，吉田用水土地改良区が主体となり，役員33名を含む面積132ヘクタールの五ケ年継続国庫補助事業の国生地区団体営圃場整備事業が着工を見たのである。
着工事進行中種々の難問発生ありしも，関係者の一致協調と役員の弛まぬ努力により事速かに然も円満に解決され，歴史的事業は耕地の面目を一新して完成した。
因みに域内道路延長10.903メートル，パイプライン敷設5.301メートルに将門川改修1.402メートル，総事業費208.63万 8 千円，内補助金98.13万 4 千円である，自己資金110.50万 4 千円である。今見る一望整然の美田，ここに子孫の繁栄に寄与する事は役員地益者の賜物なり。
茲に功業の勲を讃え永く後世に伝える者也。昭和56年
7 月 石下町長 松崎良助識」
，と先人の苦労をしのび顯彰し，永きにわたって後世に伝えて行くことを誓っている。
では，吉田用水の景観を地元の農民たちはどのように見ていたのだろうか。
千代川村の村岡に住んでいた中里但馬は，彼の「日記・回想記」のなかで吉田用水を次のように見ていた。[4]
1906 M39 5. 25 天
「午前 4 時絹川堤防破壊のため，水田前の橋へ逆上を警報するものありしにつき，起き出て見れば柴崎下前橋一面の水田と変し，柴崎下堤水迚のために水声甚大にして惨状言うに物なし，老人の言うに80年以来稀有の大水なりと」
この吉田用水は，村岡から別府沼・鎌庭たんぼ・鬼怒川へと続く流路であるが，この吉田用水の流路が鬼怒川の洪水によって逆流し，村岡の水田も被害にあっていることがわかる。
1906 M39 6. 6 雨
「絹川増水の見込みにて土俵あみ，午後 4 時頃片角堤防切処へ土俵30俵・人夫50人，手伝頼まれずして土俵をわたして夕刻帰る，夕飯後増水の見込にて，水害地・坊地と締切のため村中人夫を以て出発す ここも，村岡の坊地地域の南側を吉田用水分水を利用した水田が，鬼怒川の洪水による逆流の被害にあっていることがわかる。
1906 M39 6. 8 雨
「午前午後痢秒にて休み，本日絹川増水我字耕地へ浸水の慮あるにつき，去る
6 日水防工事を竣工せしむ人夫50人，土俵300然れども浸水なく減水せる幸と言うべし」
以上は，鬼怒川洪水によってあらわれた，系統樹を逆さにしたような「鬼怒川絵図」の吉田用水ということになる。
今回は，「鬼怒川絵図」の吉田用水についての考察を試みたわけであるが，実際に吉田用水は，流路の全体像が複雑でよくわからないところもおおく，きわめて人間くさい用水路であるとおもわれる。今後は「鬼怒川絵図」を携えて，詳細に吉田用水のフィルド・ワークを実施したい。