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はじめに

1998年11月に開催された東京古典会の古典籍下見展観に,長久保赤水の 書簡2通(1巻)が出品され書面に目を通す機会があった。ちょうど同年 4月に明治大学人文科学研究所の目的研究として蘆田文庫編纂委員会が発足し, 所蔵地図の調査を始めていたところでもあり,その内容に強く興味をひかれた。 この書簡のうち1通は杉田雨人『長久保赤水』[1]にその一節が(立川淳美宛として) 紹介されており,その後もいくつかの研究において本書から孫引の形で利用されて きたもので,全文を読む機会を願っていた。『古典籍下見展観大入札会目録』 (1998年11月)には書簡の一部が写真として掲載されていたが, 最も興味深い部分は掲載されていない。メモは取ったが細部に読み誤りが あるやも知れず,全文を読む機会を待っているのだが,その後の行方は不明の ままである。その後,この書簡全文の写真が『思文閣古書資料目録』第157号 (1997年12月)に掲載されていることに気付いた。これによって太刀川左四郎宛書簡の 全文を紹介する。また『大坂本屋仲間記録』の記事から赤水の世界図に関する部分を 摘記し,これらを手掛かりにして赤水の「地球図」板行の経緯を検討する。

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