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5. 『地球万国山海輿地全図説』の蔵板者

大坂本屋仲間の記録に「一地球大図・同小図/右,文化四年卯正月,江戸書林山崎屋金兵衛之世話ヲ以,水戸様御屋敷津田右仲殿より,当地高麗橋壱丁目藤屋弥兵衛方へ買得仕候」とあったように,文化 4 年正月江戸書林山崎屋金兵衛の仲介により,『地球万国山海輿地全図説』の板木は津田右仲から藤屋弥兵衛に移ったのである。

にもかかわらず,後刷とされる『地球万国山海輿地全図説』(大図)には「長久保氏蔵板・東都 山崎金兵衛・浪速 浅野弥兵衛」とある。「長久保氏蔵板」とされているので,大図の板木は赤水のもとに留まったままだったと考えられる。大図の板木は赤水の所蔵,小図の板木は津田右仲の所蔵ということだったのかも知れない。そう考えれば,右仲が藤屋弥兵衛に売り渡したのは小図の方だけということになり,大図の板木は赤水のもとに留まったまま,後年再び赤水蔵板として出板されたと考えることができる。

「地球小図」にあたる『地球万国山海輿地全図説』の出板願が嘉永 6 年11月 6 日,江戸の本屋仲間に出されており,大坂本屋仲間の記録では水戸長赤水先生稿・江戸山崎美成補著・高谷氏蔵板とされる。これは現在,『地球万国山海輿地全図説』(水戸 長赤水先生原稿/江戸 山崎美成補著/嘉永三年庚戌季春 高谷氏蔵板)として残る。

本屋仲間の記録によれば,本図説(小図)の板木は文化 4 年に藤屋弥兵衛が津田右仲から買得している。この板木が藤屋弥兵衛の元に留まったまま,嘉永 3 年に高谷氏蔵板として発売されることはあり得ない。したがって,本図の板木はこの間に藤屋弥兵衛から高谷氏の所有となったと考えざるを得ない。あるいは原図は同じでも山崎美成補著とされることが,藤屋弥兵衛板とは異なる新板と判断されたのかも知れない。小図には多くの異版が知られているが,それらの詳細な検討をすることによって再考を期すこととしたい。

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