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4. 本屋仲間記録の「地球大図・同小図」について

本屋仲間の記録によれば,「地球大図・同小図」の板木は文化 4 年正月江戸書林山崎屋金兵衛の世話によって「水戸様御屋敷」津田右仲から大坂の書肆藤屋弥兵衛が買い取った。この板木買い取りの際の藤弥方の控は橋本氏にあるという。この橋本氏は橋本宗吉のことだろう。『和蘭新訳地球全図』『地球万国山海輿地全図説』はともに書肆藤屋弥兵衛が板行しているので,何らかの経緯からこの控えが橋本宗吉の元に残ったのであろう。

ここにいう「地球大図・同小図」が赤水作『地球万国山海輿地全図説』のことと思われる。これは津田右仲の蔵板で出板され(天明 5 年頃と推定されている),後に大坂の書肆藤屋弥兵衛が板木を買い取って出板したのである。現存する赤水作成の地球万国図には『地球万国山海輿地全図説』の名称で知られる大図と同名の小図とがあるが,本屋仲間記録によれば最初から大小二種があったことになる。

大坂本屋仲間記録により,赤水の『地球万国山海輿地全図説』初板の蔵板者は津田右仲であったこと,高麗橋壱丁目の書肆藤屋弥兵衛が津田右仲から板木を買い取って再板したことが確認できた。

ところで,『地球万国山海輿地全図説』について,赤水宛の高山彦九郎書簡 [13] (杉田氏は彦九郎が赤水「日本図」を見た天明元年 5 月 2 日より前とする)の一節に次の記事がみえる。

段々承れば此の度萬国地図御編製のよし,何よりの御企てに御座候。願はくば,御国の分丈け,別に御拵ひ被下候様偏に奉願上候。出来上り候はゞ,一枚貰ひ受け申度存意に御座候。

この書簡が杉田氏の推定したように天明元年 5 月以前のものとすれば,この書簡が書かれた頃には赤水は『地球万国山海輿地全図説』の製作にとりかかっていることになる。赤水の『地球万国山海輿地全図説』は,原目貞清『輿地図』(享保 5 年刊)を原図とし,『魯齊亜図』や『職方外記』などを参考として増補訂正して成ったと考えられる [14] が,この作業は天明元年ごろから始まっているのである。これまで本図の刊行は天明 5 年あるいは同 8 年以前と推論されて来たことと齟齬しない。天明元年から若干年を経て完成し,刊行されたとして誤りがないだろう。

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