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3.伝来関係

蘆田本の成立と伝来については,先に掲げた岩崎の「歴史地理」掲載論文に端的に示されており,間違いないものと 思われるが,前述のように,伝来関係も自筆本とすることの大きな証拠に挙げられているので,簡単に追ってみたい。

福知山藩主朽木候から加賀藩主前田候への移動については,園部が前記の著書で,私見としながらも,いくつかの 推論を示している。そこで園部は,加賀藩の蔵書であったことの有力証拠の一つとして,藩校金澤学校の蔵書印である 丸に學の字の印影(以下,「學(丸印)」という)を挙げている。

同じ蔵書印が蘆田本の第一丁表,凡例の上部余白に押印されている。内径23ミリの朱印である。

加賀藩の集書,金澤学校の由来と蔵書及び蔵書印については,昭和56年に石川県立金沢泉丘高等学校から刊行された 『金沢泉丘高等学校善本解題目録』[19]に詳しい。同書は,3万冊を越す蔵書の中から,特に重要な和漢書1051点, 洋書126点について解題を加えたものである。

山森青硯の解説によれば,学校の創設は寛政4年(1792)で,明倫堂と称された。蔵書印については判然としない 部分もあるが,「學(丸印)」の印は確かで,加賀藩からの引継ぎ時の蔵書印たることは間違いないとしている。 蘆田本に押印されたものも,印形,大きさともに符合している。

新井白石は雨森芳州に送った書簡に,「加州は天下の書府なり」と記したそうであるが,並外れた加賀藩の集書力は 天下に聞こえていた。だが,左程の蔵書も他の例に漏れず,明治の廃藩置県によって解体されてしまった。 多くは尊経閣文庫,他に加越能文庫として金沢市立図書館近世資料館等に分散し収蔵されているが,散逸した稀覯書も 少なくないという。尋常中学校以来の歴史を有する同校に伝わるのはその一部である。

同書には,同じ「學(丸印)」を押印した蔵書68点が列記されている。いずれ調査の必要があろう。

なお,蘆田本の見返し下部に,縦14cm横5 cmほどの付箋が張られ,「訳四三三六キ三十/ 輿地図編小解○□一冊/千百五十六(アンダーライン部分は朱筆)と記され,「四三三六」と 「千百五十六」の部分は,それぞれ朱線1本で消されている。これが,旧蔵者の記録なのか,あるいは古書店の 符号なのか判然としないが,伝来関係を調べる上で手がかりになりそうである。