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4.筆跡

さて,問題の筆跡であるが,原本に残された全66枚の付箋と,蘆田本の本文から同一箇所をつぶさに照合した (資料1)。

特徴の出にくいカタカナが多用されていることや,蘆田本と付箋との筆の太さの違い,蘆田本が稿本として 丁寧に書かれていると思われることもあって,筆跡の異同を明確に判定することが難しいが,両者から特徴的と 思われる文字を拾ってみる。

:蘆田本全体を通じて最も特徴的な書体。縦線画が上に突き出ず,横線画右の鉤が縦線画に 付いて,漢字の「已」の崩しの形に似たように見える。蘆田本で「セ」の字は都合319回使用されているが, 明らかに縦線画が突き出ているものは29回で,その中でも鉤が縦線画に付いたものが23回あるので, この特徴から外れるものは6例に過ぎない。
:原本付箋で際立った特徴をもつ字。漢字の「寸」のような特異な字形である。
:蘆田本は縦線画と右の点が付いているが,付箋は離れている。
:蘆田本は左の払いが長いが,付箋は点に近い。
:蘆田本は点と右上への跳ねがくっついて, 「シ」ないしは「レ」のように見える。
:濁点が,蘆田本では左に払った線の中頃に付けられているが,付箋は角に付いている。 濁点は全体的に,原本が文字の最上部にあるのに対して,蘆田本はやや下がった位置に付けられている。
:蘆田本は禾偏の右の点がない。
:付箋は草冠を「」としている。
:付箋は第一,ニ画の十字が「ナ」のように曲がり,三,四画目の縦線画も著しく短い。
:付箋は第一画目の横線画がほとんど見えず,第二画の縦線画と一体になって,「ノ」のように下りて きている。
:蘆田本は右の払いが最後に上に跳ねるが,付箋は長く引かれる傾向にある。付箋のこの特徴は「ル」 にも見られる。
廿:付箋は縦線画2本が横線画上の同じ位置から「大」の字のように開いて下ろされ, 第4画目の下の横線画は,右側の横線画を右に払うような形で書かれている。
:付箋は左端の縦線画が横線画を突き抜けず,点のように書かれている。

よく似ている筆跡には次のようなものがある。

:一画目の鉤がなく横線画一本の下に点を打ったようなつぶれた形になっている。
:は二画目の横線画がなく, 「リ」のように見える。

蘭化の確かな書体を知りたいところであるが,自筆資料は,書簡や自画賛などが僅かに伝えられるのみで, 稿本類の残存は極めて稀である。尊経閣文庫[20],加越能文庫[21],静嘉堂文庫の大槻文庫[22], 早稲田大学図書館の大槻文庫[23],等の蔵書目録においても見出すことはでぎない。

そうした中で,蘭化と親交のあった大垣市の江馬家に伝来する『和蘭点画考補』の一部が, 「蘭化筆」として,昭和55年刊行の青木一郎編『前野蘭化先生画譜』[24]のカバー意匠に使用されていることが 分かった。自筆であれば大変に貴重な資料ということになる。江馬家の蔵書目録である『江馬文書目録』[25] には自筆との記述はなく,「蘭化筆」の「筆」が自筆を意味するのか判断に迷うところではあるが, 数少ない手掛かりとして,いくつかの文字を,原本付箋,蘆田本と比較してみる(資料2)。

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