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おわりに

筆跡の点では原本付箋と蘆田本は,異筆との印象を強くしている。どなれば蘆田本は蘭化の自筆ではないとの結論が導き 出されるのだが,では付箋は間違いなく自筆なのだろうかとの疑問が湧く。

蘆田本と原本付箋との前後関係は,原本を精査しながら付箋を張り,後に『輿地図編』ないしは『小解』としてまとめるのが 順序だろうから,両者が異筆とすれば,付箋が蘭化の自筆で,蘆田本は周辺の人物の浄書本,あるいは,転写本と考えるのが 自然である。しかし,資料2で対照した原本付箋と『和蘭点画考補』の筆跡が一致するかというと,比較事例が少ないことも あるが,これもまた微妙と云わざるを得ない。

蘭化の周辺の人物ということでは,蘆田本の凡例に記された,「此解は本同志ノ友卜與二言(イハ)ンスル所ノ モノヲ以テス」の下りが気になる。「同志」とは誰々を指すのだろうか。

表記の異同はどうして生じたか。浄書や転写がなされたのだとすれば,その段階で訂正あるいは誤記されたものもあろう。 しかし,そればかりとも思えない。本稿では当該個所を例示したに留まるものであり,蘭化のフランス語理解と対照しながら, さらに分析を進める必要がある。

以上のことから,現時点では蘆田本を蘭化自筆とすることには躊躇せざるを得ない。

(追記)本稿脱稿後,江馬寿美子氏の許可をいただき,岐阜県歴史資料館において,江馬家文書中,蘭化の自筆とされる4点の 文書を閲覧する機会を得た。それによっても,今回の疑念を一掃するには至らなかった。詳しくは次の機会に報告したい。